「モーリス・ルブラン」の版間の差分

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コナン・ドイルは[[シャーロック・ホームズシリーズ|ホームズシリーズ]]の成功に対してむしろ困惑し、犯罪小説で成功することを、より「尊敬に値する」文学的情熱から遠ざけるもので、生活を妨害されているようでさえあると感じていたともいわれている。同様にルブランも、もともと純文学・心理小説作家を志していた事もあり、[[犯罪#犯罪とフィクション|犯罪小説]]・[[探偵小説]]であるルパンシリーズで名声を博する事に忸怩たるものがあったといわれる。ドイルがホームズを[[ライヘンバッハの滝]]に落としたのと同様、ルブランもルパンを一度自殺させている(『[[813 (小説)|813]]』)。「ルパンが私の影なのではなく、私がルパンの影なのだ」という言葉などにも、その苦悩の跡が見られる。ただ晩年、「ルパンとの出会いは事故のようなものだった。しかし、それは幸運な事故だったのかも知れない」との言葉を残し、その自分の経歴も受け入れられるようになったとも見られている。なお、探偵もの以外の娯楽小説では、[[サイエンス・フィクション|SF]]に分類される『三つの眼』([[ファーストコンタクト]]・テーマ)、『ノー・マンズ・ランド』がある。
 
ルブランは文学への貢献(直接の理由は「国民的英雄・ルパン」の創造)によって[[レジオンドヌール勲章]]を授与され、1941年に[[ペルピニャン]]のサン=ジャン病院で亡くなった。死因の一つは[[肺うっ血]]。妹ジョルジェットの死を息子のクロードから伝えられたが、その時にはもう意識が無くなっていた<ref ">Derouard, Jacques. ''Maurice Leblanc –Arsène Lupin malgré lui–''. Séguier, 1993. p.312</ref>。亡くなる数週間前に、「ルパンが私の周りに出没して何かと邪魔をする」という趣旨の被害届を警察署に出し、そのため警察官が24時間体制で警備し、最期の日々の平穏を守った。
 
[[クロード・モネ]]の絵で有名な大西洋岸の町[[エトルタ]]には、彼の住居を基にしたモーリス・ルブラン記念館、通称「アルセーヌ・ルパンの隠れ家」がある。またモネの絵の題材にもなった有名なエトルタの岸壁は、その頂上に登ると崖の内部に潜れるようになっており、『[[奇巌城]]』に登場する暗号がそのまま金属プレートで掲示されている。また、ルブランの墓はパリのモンパルナス墓地にある。
 
伝記ではないが、日本で[[隆巴]]が書き下ろした戯曲『ルパン』は劇中劇のルパンと往還する形でルブランの苦悩を描いた作品であり、初演は[[仲代達矢]]がルブラン、ルパンの二役を演じた。