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[[中国]]およびその影響圏における爵位は古くは中国の[[周]]にさかのぼり[[諸侯]]の[[封号]]として爵位が授けられ、その慣行は[[清]]代まで続いた。また近代の[[日本]]の[[華族]]でも用いられ、あるいは西欧の貴族称号の訳語として[[ヨーロッパ]]・[[ロシア]]の貴族についても用いられた。'''五爵'''(ごしゃく)あるいは'''五等爵'''(ごとうしゃく)、'''公・侯・伯・子・男'''(こう・こう・はく・し・だん)などともいう。なお、[[タイ王国|タイ]]の爵位制度に関しては[[ラーチャウォン]]を参照。有爵者への敬称は「[[閣下]]」または「[[卿]]」。天から授かった徳を'''[[天爵]]'''というのに対して、爵位や位階官禄のことを'''人爵'''という。
 
君主の称号を爵位とみなすかどうかについては、その国の伝統や文化、さらに爵位に対する考え方の違いによって、差異がある。日本の[[天皇]]の場合、天皇は爵位を与える(または認定する)主体であり、爵位を受ける側ではない。[[隋]]の九等爵の場合、その筆頭は「[[国王]]」であるがそれを与える者は隋の皇帝であり、皇帝は爵位を受ける側ではない。一方、「'''王爵'''」「'''帝爵'''」という言葉が使われることもあり、「[[王]]」といった君主の称号即ち[[君主号]]も広義では爵位の一種とみなすこともある。中国の場合、上位の君主である皇帝が下位の君主である「王」を認定することがあり、その場合には「王」もまた皇帝の下にある爵位のひとつとみなされる。ヨーロッパの国においては歴史的な成立事情から[[公国]]、[[大公国]]、[[侯国]]といった名称を名乗るものがあり、そこでは有爵者を[[君主]]や[[国家元首]]とされている。このように、爵位が君主号の役割を果たしている場合もある。
君主の称号を爵位とみなすかどうかについては、その国の伝統や文化、さらに爵位に対する考え方の違いによって、差異がある。
* 日本の[[天皇]]の場合、天皇は爵位を与える(または認定する)主体であり、爵位を受ける側ではない。[[隋]]の九等爵の場合、その筆頭は「[[国王]]」であるがそれを与える者は隋の皇帝であり、皇帝は爵位を受ける側ではない。
* 一方、「'''王爵'''」「'''帝爵'''」という言葉が使われることもあり、「[[王]]」といった君主の称号即ち[[君主号]]も広義では爵位の一種とみなすこともある。中国の場合、上位の君主である皇帝が下位の君主である「王」を認定することがあり、その場合には「王」もまた皇帝の下にある爵位のひとつとみなされる。
* ヨーロッパの国においては歴史的な成立事情から[[公国]]、[[大公国]]、[[侯国]]といった名称を名乗るものがあり、そこでは有爵者を[[君主]]や[[国家元首]]とされている。このように、爵位が君主号の役割を果たしている場合もある。
 
今日、君主制ではない、いわゆる[[共和国]]ではもちろんのことであるが君主国の系譜を引く[[フランス]]や現在も君主国である日本などでも貴族制度、華族制度が廃止となるなど公式に爵位を定めない国もある。その場合においても特にフランスなどに代表されるように一部では慣習として爵位を私称し続けたり、その私称を継承し続けている旧貴族層も存在している。なお君主制あるいは自国に爵位制度が存在するかに関わらず外国の爵位が贈呈されることも少なくなく、国際親善や特定の国に利益をもたらした人物にその国から爵位が贈呈される場合もある。また一部には[[寄付]]により爵位を贈呈する国や自称国家もあるが、それらの中には[[詐欺]]まがいのものもあるのが現状である。
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=== タイにおける爵位 ===
{{mainMain|タイの階級}}
 
[[タイ王国|タイ]]では国王、王族、外戚を対象とした複雑な階級とそれに伴う称号があり、それを'''ラーチャウォン'''と呼ぶ。
 
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==== 各爵位 ====
; Duke
: 語源は古代ローマの有力者に与えられる称号で、後に地方司令官を指す言葉となったラテン語の[[ドゥクス]](Dux)。帝政後期に入ると[[ローマ帝国]]は異民族の首長にDuxの称号を与えるようになった。[[4世紀]]には文官と武官が分かれ、Duxはそれぞれの軍団の司令官の職名に使われた。同様のComes mei militarisはduxの部下であり、のちCountとなる。
: この事象の一端であった[[フランク人]]はローマの影響を受けてDux/Duces(将軍)を用いるようになった。Duxは軍団の司令官であり、同時に郡の執政となった。[[シャルルマーニュ]]が辺境を平定したのち諸[[氏族]]の氏族長にもDux/Ducesの称号が与えられ、フランク王国の宗主権を認めさせた。これらの称号は世襲され、公爵領となった。いっぽうでDux/Ducesは王子にも用いられる習慣も広がった。この制度はフランク以外の地域にも広がり、[[イングランド]]では[[エドワード黒太子]]が初の公爵(コーンウォール公)となった。
; Marquess
: Marquessはゲルマン語の称号Markgraf(marka 境界線+Graf 伯)に由来し、しばしば「辺境伯」と訳される。英語ではMargraveと綴る。はじめは[[カロリング朝]]フランクで辺境を守る武将の役職名でフランク王国東部の[[ローマ帝国]]との国境線に多く配された。しだいに貴族の称号となってゆきDukeの次、CountないしEarlの上という序列がつくられた。その後ヨーロッパ各国もこれを導入し、[[13世紀]]から[[14世紀]]にかけてMargrave/Marquessは貴族の称号として一般的に定着していった。
; Earl
: [[9世紀]]、[[スカンジナビア]]の[[デーン人]]が非王族軍指揮官として任命したのが始まりである。石碑や出土した武器などからHerul/Jarlの文字が見つかっているが、そもそもは[[北欧神話]]の神・Rígの伝説に端を発する。
: Rígは旅の途中で農民の老夫婦の家に泊まり、老夫婦はRígに粗末な食事を出した。9ヶ月後に夫婦の間に子ができ、褐色の肌を持つ子はThrall/serfと名付けられた。これが[[奴隷]](slave)の祖先である。次に辿りついたのは工芸職人の家で彼らはRígにより上質な食事を提供した。やはり9ヶ月後に職人夫婦の間に子が生まれ、Karlと呼ばれるようになった。赤毛で赤ら顔のKarlは[[農民]]・[[職人]]の始祖となった。最後に泊まったのは豪邸で豪邸の若夫婦はすばらしい食事を出した。その後同様に子ができた。その赤子は金髪碧眼でJarlと名付けられ、[[貴族]]の祖先とされた。
: デーン人は[[イングランド]]に移住してからもEarlを用いた。「太守」もしくは「伯」と訳され、各州に配置されて州の統治が任務だった。当初は一代かぎりの役職だったが、すぐに世襲されるようになった。のちにヨーロッパ各国のCountと同じように用いられるようになり、[[12世紀]]以降は役職名ではなく称号として用いられた。
; Count
: ローマ帝国のComesは廷臣の階級のひとつであった。文官のComesと武官のComesがあり、Duxが部下として指名した。
: 中世のフランク王国やゲルマン地域ではCount Palatine([[パラティン]]とよばれる自治州を領有し、そのなかではほぼ完全な自治権を有していた)、Comes Sacrarum Largitionum(王室財政を管掌する職)などがあった。当初は任命制だったが、その強大な権力により次第に世襲されるようになった。中世になると伯爵領はCountyと呼ばれるようになり、これが現在の州「カウンティ」に受け継がれている。領主としての伯爵の地位は近世以降しだいに称号化し、他の爵位をあわせて社会の序列をあらわす名称へと変化していった。
; Viscount
: 「副伯」というニュアンスでフランス、スペイン等で使われていた。イングランドでは[[シェリフ]]相当の爵位として14世紀に創設された。ドイツ語圏では[[城伯]](都市伯)''Burggraf''がこれに相当すると言える。またドイツ貴族であっても、フランス王による[[冊封]]を受けViscount(Vizegraf)の爵位を持つ例もある。
; Baron
: 自由民を表す言葉で後に領主一般を指す言葉となり、最終的にViscount以上の爵位を持たない領主の爵位([[男爵]])となった。ドイツ語圏やスコットランドでは男爵に相当するものにFreiherrやLord of parliamentが使われ、Baronはそれより低い称号になっている。スコットランド語でBaronyは荘園を意味し、荘園領主・小規模領主にBaronが用いられた。
 
=== フランスの爵位 ===
フランスの爵位は13世紀、国王[[フィリップ3世 (フランス王)|フィリップ3世]]が貴族身分を制定したのが始まりで[[18世紀]]に王族の大公を筆頭に公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、騎士、エキュイエ(平貴族)までの階梯が確立した。[[フランス革命]]で爵位制度は一度廃絶されたが[[1814年]]の王政復古により、ナポレオン帝政下の帝政貴族と王朝貴族が併存する形で爵位制度が復活するものの貴族の特権は伴わず爵位は純然たる[[名誉称号]]と化した。[[第三共和政]]以後は私的に用による以外その効果を失った<ref name="daihyakka313"/>。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
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*新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年(平成23年))ISBN 400080121X
*野澤知弘著「カンボジアの華人社会 --プノンペンにおける僑生華人および新客華僑集住区域に関する現地調査報告--」日本貿易振興機構アジア経済研究所編([[2012年]](平成24年)2月 第53巻第2号)
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==