「コノン (アテナイ)」の版間の差分

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==生涯==
富裕な名門の出身。前414年から[[コリントス湾]]口の要地ナウパクトスに駐在する戦隊を指揮して以来、各地を転戦。前406年に監視所を置いていた[[ミティムナ|メテュムナ]]の救援に向かったが[[スパルタ]]のカリクラティダスの艦隊に追われ[[ミティリーニ|ミュテイレネ]]で包囲網を突破し、[[アルギヌサイの海戦]]に参加。前405年に[[アイゴスポタモイの海戦|アイゴス・ポタモイ]]でスパルタの[[リュサンドロス]]に敗れ、キュプロス王[[エウアゴラス]]のもとに逃れた。歴史家のネポスによるとアイゴスポタモイの戦いにコノンは居合わさず、もし軍事に精通した彼がいたならばあのようなわざわしに陥ることはなかっただろうと当時のアテネの人びとは疑わなかったという<ref>{{Cite book|和書|author=ネポス|year=1995|title=叢書アレクサンドリア図書館 英雄伝|publisher=国文社|pages=P.60}}</ref>。アテナイが包囲されていると聞いてペルシア人で小アジア総督の[[パルナバゾス]]のもとに身を寄せ、「ペルシア王アルタクセルクセスに背いてスパルタ人と結託している」として、パルナバゾスの政敵である[[ティッサペルネス]]を書面で弾劾し、王が心を動かしティッサペルネスを敵と宣言し、スパルタとの戦争を決意させることになった<ref>{{Cite book|和書|author=ネポス|year=1995|title=叢書アレクサンドリア図書館 英雄伝|publisher=国文社|pages=P.62}}</ref>。前400年にスパルタとペルシアとが戦争状態に入ると彼はペルシアを助け、前394年にスパルタ海軍を[[クニドス]]に破った。その後、島嶼と沿岸の諸ポリスを回航しスパルタの統監たちを追放した。ペルシア人で小アジア総督のパルナバゾスとともにスパルタに遠征し、翌年にアテナイに帰国してパルナバゾスに出させた資金でリュサンドロスに破壊された城壁を再建。前392年にスパルタがペルシアに接近するのに対抗し、ペルシアの将軍ティリバゾスのもとに使節として派遣された。ところがペルシア王に無断でスパルタ側に寝返ったティリバゾスによって、逗留していた[[サルディス]]で捕えられ、逃れたが間もなく死んだ([[コルネリウス・<ref>{{Cite book|和書|author=ネポス]]による)|year=1995|title=叢書アレクサンドリア図書館 英雄伝|publisher=国文社|pages=P.63}}</ref>
 
== 脚注 ==
<references/>
 
==参考文献==