「スクロヴェーニ礼拝堂」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Ellsiemall (会話 | 投稿記録)
3行目:
== 歴史とジョットのフレスコ画 ==
[[file:Cappella Scrovegni enrico.jpg|thumb|right|『最後の審判』に描かれたエンリコ・デッリ・スクロヴェーニの肖像画]]
スクロヴェーニ礼拝堂は、高利貸しで財産を築いた一族出身のエンリコ・デッリ・スクロヴェーニがパトロンとなって創設された。当時高利貸しで金を稼ぐことは、キリスト教の聖礼典から追放では制限される可能性があるほと罪深行為だたものであった<ref>Stokstad, Marilyn</ref>。エンリコが私財を投じて礼拝堂を建設したのは、父親の罪と、自身の免罪とを意図したものだったと指摘されている。エンリコの父レジナルド・デッリ・スクロヴェーニ ([[:en:Reginaldo degli Scrovegni]]) は、[[神曲]]の中で[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]が出会う高利貸しとして書かれる人物である。近年の研究ではエンリコも高利貸しであり、贖罪のために礼拝堂を建設したともいわれている<ref>Anne Derbes and Mark Sandona, ''The Usurer's Heart: Giotto, Enrico Scrovegni, and the Arena Chapel in Padua.'' Pennsylvania State University Press, 2008.</ref>。エンリコの墓は礼拝堂の後陣([[アプス]])にあり、肖像画が『最後の審判』で礼拝堂をマリアに祈り捧げている人物として描かれている。
 
[[File:Scrovegni.JPG|thumb|left|スクロヴェーニ礼拝堂内部]]