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'''煩悩'''(ぼんのう、{{lang-sa-short|&#x0915;&#x094d;&#x0932;&#x0947;&#x0936;}}, kleśa, '''クレーシャ'''、{{lang-pi-short|kilesa}}, '''キレーサ'''、{{lang-en-short|Kleshas}})とは、[[仏教]]の教義の一つで、身心を乱し悩ませ[[智慧]]を妨げる[[心]]の働き(汚れ)を言う。同義語として、「'''[[漏]]'''」(ろ、{{lang-sa-short|aśrava}}, アーシュラヴァ、{{lang-pi-short|asava}}, アーサヴァ)<ref>例 : 「[[六神通|漏尽通]]」</ref>、「'''[[随眠]]'''」(ずいめん、{{lang-sa-short|anuśaya}}, アヌシャヤ、{{lang-pi-short|anusaya}}, アヌサヤ)等、数多くの表現が用いられたりもする。
 
[[原始真正仏教]]では、人の[[苦]]の原因を自らの煩悩ととらえ、その[[縁起]]を把握・克服する[[解脱]]・[[涅槃]]への道が求められた。[[部派仏教]]の時代になると、煩悩の深い分析が行われた。
 
[[大乗仏教]]の時代でもこの分析は続けられ、特に[[唯識]]が示した心と煩悩の精緻な探求は仏教が到達した一つの究極点といえよう。またこの時代には、煩悩を否定しないというそれまでの仏教には無かった発想も生じてきた([[如来蔵]])。この両者の思想はその後の大乗仏教に深く影響を与えた。
 
== 煩悩の数について ==