「ラマーズ法」の版間の差分
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== 日本におけるラマーズ法 ==
1960年代後半、日本に紹介される
1971年、日本ペアレントクラフトが設立され、在日アメリカ人らを対象にアメリカ式のラマーズ法を教えるようになる
1972年ごろから、日赤医療センターの雨森良彦はラマーズ法で出産希望の外国人夫婦らを受け入れ始める
1973年、ウーマンリブ活動家の山田美津子
1975年ごろ、立川市の所産婦三森孔子はラマーズ法に出会い、ラマーズ法による出産を三森助産院でどnどん手がけるようになる。三森はラマーズ法に独自の工夫を加え、「三森式ラマーズ法」といわれる方法を作り上げ
1977年、「産婆の学校」が開校し三森も講師として参加
1978年11月25日、朝日新聞記者の[[藤田真一]]が連載「お産革命」
1980年代前半になると、助産婦団体もラマーズ法を積極的に後押しし広めるようになる
1980年3月、「お産の学校」が開校。お産の学校は、ラマーズ法普及に大きな役割を果たし、1980年代なかごろには、ラマーズ法への理解も進み、一般に広く受け入れられるようになる
1996年、「お産の学校」が受講生の減少もあり、100期を区切りとして閉校
== 脚注 ==
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