「関門連絡船」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎航路開設まで: 日付間違い、徳島門司間航路の開業は9月1日
m編集の要約なし
1行目:
{{Otheruseslist|かつて下関駅 - 門司港駅間を運航していた国鉄の鉄道連絡船|下関市唐戸 - 門司港間で現在運航している関門連絡船|関門汽船|かつて、下関市彦島荒田港 - 小倉日明間を運航していたフェリー|関門海峡フェリー}}
 
'''関門連絡船'''(かんもんれんらくせん)とは、[[日本国有鉄道]](国鉄)が[[1901年]](明治34年)から[[1964年]](昭和39年)までの間、[[山口県]][[下関市]]の[[下関駅]]と[[福岡県]][[北九州市]][[門司区]](1963年までは門司市)の[[門司港駅]]との間を運航していた[[鉄道連絡船]]である。
10行目:
貨物では荷物の積み替えが煩わしいことから、貨車自体を線路を引いた船に載せる「鉄道車両渡船」が古くから使われ、このために門司港駅の南西(現在の[[小森江駅]]付近)に貨物専用の[[桟橋]]が設置されていた時期もあった。
 
[[関門トンネル (山陽本線)|関門鉄道トンネル]]の開通に伴い鉄道連絡の意味合いは薄れたが、関門鉄道トンネルが通らない門司港駅付近と下関付近とを行き来する地元住民の便を図る目的で旅客輸送のみ継続された。しかし、民間航路の[[関門汽船|関門汽船・関門海峡汽船]]や[[関門国道トンネル]]([[1958年]][[3月9日]]開通)を通る[[バス (交通機関)|バス]]への旅客移行が進んだことから廃止になった。
 
== 航路データ ==
* [[下関駅|下関]] - [[門司港駅|門司港]]間(旅客)  営業キロ(1940年10月)15.0km・(1961年10月)0.8km
** 1940年10月当時  53往復  所要15分
** 1961年10月当時  20往復  所要18分
* 下関 - [[小森江駅|小森江]]間(貨物) 
 
== 歴史 ==
24行目:
山陽鉄道では利用者増のため自社沿線の瀬戸内海上に鉄道連絡船を運航する営業政策をとっていた。その一環として同社の子会社である[[山陽汽船商社]]が[[1898年]](明治31年)[[9月1日]]、[[徳山下松港|徳山港]]と馬関港(現・[[下関港]])・[[門司港]]を結ぶ鉄道連絡船「門徳連絡船」を運航開始し、当時開通していた[[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]] - [[徳山駅]]間を運行する[[急行列車]]と接続させた。また門司側ではこの当時すでに[[九州鉄道]]が門司駅(現、[[門司港駅]])まで鉄道路線を開通させていたため、この連絡船を介して本州 - 九州間の[[連絡運輸]]が開始された。
 
その後、山陽鉄道が路線延長を進め、[[1901年]](明治34年)[[5)5月27日]]には馬関駅(現・下関駅)まで開業したため、同日より徳山 - 門司港間の鉄道連絡船を廃止し、代わって下関駅と門司駅を結ぶ関門航路が開設された。
 
=== 航路開設から関門鉄道トンネル開通まで ===
62行目:
* [[1911年]](明治44年)[[10月1日]] 鉄道車両航送を開始。貨物便については九州側の発着地を小森江に変更。
* [[1919年]](大正8年)[[8月1日]] 前後左右対称の自力で航行する鉄道車両渡船([[第一関門丸|第一関門丸、第二関門丸]])が就航。
* [[1942年]](昭和17年)[[7月1日]] [[関門鉄道トンネル (山陽本線)|関門トンネル]]が開通したことにより貨物輸送を廃止。
* 1942年(昭和17年)[[11月15日]] 関門トンネルで旅客輸送が開始されたことにより郵便輸送を廃止し減便。
* [[1964年]](昭和39年)[[11月1日]] 航路廃止。
89行目:
** 升田嘉夫 関門航路63年の幕を閉ず
** [[青木栄一 (地理学者)|青木栄一]] 関門鉄道連絡船の歩み
* 『関門海峡渡船史』澤忠宏著、梓書院、2004年
 
{{DEFAULTSORT:かんもんれんらくせん}}