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'''たかの友梨'''(たかの ゆり、本名:'''髙野 友梨'''、[[1948年]][[1月22日]] - )は、エステティシャン、[[アンチエイジング]]美容研究家。ブラック企業として名高い、[[日本]]の[[エステティックサロン]]「'''たかの友梨ビューティクリニック'''」を展開する'''株式会社不二ビューティ'''の創業者。同社についても暫定的に併載する。
 
== 略歴・人物 ==
[[新潟県]][[南魚沼郡]][[湯沢町]]出身。[[群馬県立前橋女子高等学校]]卒業<ref>{{cite news |title=群馬の「人」|author= |agency=|publisher=東京群馬県人会|date=|url=http://www.gunmaken.org/discover/discover_hito.html|accessdate=2014-8-22}}</ref>。[[医師]]の父と[[看護師]]の母との間の[[不倫|不義]]の子として生まれ、3歳のとき[[鉄道員]]の家へ[[養子縁組|養子]]に出される<ref name="background">{{cite news |title=たかの友梨 - ぴいぷる:ZAKZAK|author= |agency=|publisher=夕刊フジ|date=2006-3-23|url=http://www.zakzak.co.jp/people/archive/20060323.html|accessdate=2014-10-5}}</ref>。
 
中学卒業後、昼は[[理容師]]の学校へ、夜は[[高等学校#定時制の課程|高校の定時制]]<ref>群馬県立前橋女子高等学校と[[群馬県立前橋高等学校]]の定時制過程は[[1966年]]に統廃合され、現在の[[群馬県立前橋清陵高等学校]]に[[移管]]されている。</ref>に通いながら、住み込みの[[インターン]]([[1998年]]に廃止)を経て20歳で[[上京]]<ref name="background"/>。[[東京]]では理容師として働きながら夜は皿洗いの[[アルバイト]]、帰宅後も[[美容学校]]の[[通信教育]]の勉強をこなすが、やがて過労による[[目の隈]]や[[ニキビ]]だらけの顔に悩まされるようになる。[[美容師]]免許取得に協力的でない[[理容所]]を辞め免許を取得。[[外資系企業|外資系]]化粧品会社の美容部員になる<ref>{{cite news |title=株式会社不二ビューティ 代表取締役 たかの友梨さん|author= |agency=|publisher=美容経済新聞|date=|url=http://bhn.jp/interview/147|accessdate=2014-10-5}}</ref>。[[1972年]]、[[エステティック]]を学ぶため単身渡仏
 
[[美容師]]免許取得に協力的でない[[理容所]]を辞め免許を取得。[[外資系企業|外資系]]化粧品会社の美容部員になる<ref>{{cite news |title=株式会社不二ビューティ 代表取締役 たかの友梨さん|author= |agency=|publisher=美容経済新聞|date=|url=http://bhn.jp/interview/147|accessdate=2014-10-5}}</ref>。[[1972年]]、[[エステティック]]を学ぶため単身渡仏。8ヶ月間の修行を経て帰国後、たかの友梨ビューティクリニックを設立。エステ業界の草分け的存在として世界中から[[エステティック]]技術を取り入れ、紹介を続けており、次世代セラピストの育成にも力を注いでいる。また、オリジナル化粧品の開発なども行う。
== 人物 ==
 
*[[社団法人|一般社団法人]]エステティックセラピスト協会会長、一般社団法人日本エステティック業協会常務理事、[[日本肥満学会]]員、児童養護施設「[[鐘の鳴る丘少年の家]]」等を運営する社会福祉法人「鐘の鳴る丘 愛誠会」後援会長、地球こどもクラブ副会長、[[ミス・ユニバース]]審査員。フジテレビ系列「[[ビューティー・コロシアム]]」などのメディアに美容家として多数出演中。
*エステ業界の草分け的存在として世界中から[[エステティック]]技術を取り入れ、紹介を続けており、次世代セラピストの育成にも力を注いでいる。また、オリジナル化粧品の開発なども行う。
 
*[[群馬県]][[前橋市]]の[[養護施設]]「[[鐘の鳴る丘少年の家]]」の後援会長として毎年寄付を続け、夏には施設の子供達を[[東京ディズニーランド]]に招待し、[[クリスマス]]にはプレゼントをしている。体育館施設「たかの友梨レインボーホール」や食育の[[ケアハウス]]「たかの友梨レインボーハウス」の寄贈、[[カンボジア]]の小学校・中学校へ校舎を寄付、東日本大震災での、エステボランティアや物資支援など、社会貢献活動も積極的に行っている。
[[特定非営利活動法人|NPO法人]]地球こどもクラブ副会長、[[児童養護施設]]「[[鐘の鳴る丘少年の家]]」および社会福祉法人「鐘の鳴る丘 愛誠会」後援会長。[[ボランティア]]・[[寄付]]などの[[社会貢献|社会貢献活動]]も積極的に行っている。
*[[矢沢永吉]]の「成り上がり」と[[藤田田]]の「ユダヤの商法」が愛読書。矢沢の大ファンで、矢沢のポスターやグッズを集めた専用の矢沢部屋がある<ref name="gokigen">2014年2月4日放送『[[ライオンのごきげんよう]]』より</ref>。矢沢にCMのオファーを出したことがあるが「イメージと違う」と断られたという<ref name="gokigen" />。
 
*[[矢沢永吉]]の「成り上がり」と[[藤田田]]の「ユダヤの商法」が愛読書。矢沢の大ファンで、矢沢のポスターやグッズを集めた専用の矢沢部屋がある<ref name="gokigen">2014年2月4日放送『[[ライオンのごきげんよう]]』より</ref>。矢沢にCMのオファーを出したことがあるが「イメージと違う」と断られたという<ref name="gokigen" />。
 
== 著書 ==
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*[[1996年]](平成8年) - 東京・[[代々木八幡]]に滞在型エステティックサロン「あゆるば館」をオープン。
*[[2000年]](平成12年) - 「[[エステdeミロード]]」を展開する「アール・ビー・エム」社が[[倒産]]した際、同社会員への無償サービスを行った。
*[[2002年]](平成14年) - 群馬県前橋市の児童養護施設「[[鐘の鳴る丘少年の家]]」に屋内体育館施設「たかの友梨レインボーホール」を寄贈
*[[2003年]](平成15年) - たかの友梨エステティックアカデミーが、日本エステティック協会の認定校となる。
*[[2004年]](平成16年) - 一般向けエステティシャン養成校として、たかの友梨エステティックアカデミーインターナショナルを開校。
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*[[2008年]](平成20年)4月 - [[特定非営利活動法人]]「School Aid Japan(スクール・エイド・ジャパン)」の世界中の子どもたちを対象とした教育支援活動に賛同し、カンボジアの小学校に校舎を寄付。
**6月 - [[岩手・宮城内陸地震]]の被災者に無償でエステティックサービスを提供。
**7月 - 株式会社[[ラ・パルレ]]の[[第三者割当増資]]を引き受け、同社の[[筆頭株主]]となり、業界唯一の上場企業の倒産を救う。その後、増資で引き受けた株を振興銀行に譲渡一旦回避する。
*[[2009年]](平成21年)6月 - たかの友梨自身の長年の夢であった美と健康の本格エステ&スパ施設「桜庵」を河口湖にオープンする。社会福祉法人「鐘の鳴る丘 愛誠会」の後援会長に就任。養護施設「[[鐘の鳴る丘少年の家]]」に屋内体育館施設「レインボーガーデン」「レインボーフィールド」を寄贈。
*[[2010年]](平成22年)2月 - 増資で引き受けたラ・パルレの株式14万株のうち13万株を、[[消費者金融]]業の親会社(2012年解散)に売却。ラ・パルレは2010年中に倒産、上場廃止。商標権を含めた事業は別会社に移された。
*[[2010年]](平成22年)3*3月 - 渦中の[[沢尻エリカ]]をCMで起用。ワイドショーを騒がせその放送時間が300時間を超える。
*[[2011年]](平成23年)3月 - 「School Aid Japan(スクール・エイド・ジャパン)」を通じ、2校目となるカンボジア・ポーサット州カッフワット村に中学校校舎を寄贈。東日本大震災発生後、歌手GACKTが発起人の「SHOW YOUR HAERT」の街頭募金活動に賛同し、目黒駅で自ら募金活動に参加。
**4月 - 初頭に福島県いわき市の2ヶ所の避難所を訪れ、エステボランティアを実施。中旬には第2陣のエステボランティア隊を宮城県の避難所へ。長い避難生活をおくる女性や子供たちの生活に笑顔と潤いを届けたいという想いから、支援物資としてコスメセットやショーツ、マスク、ドライシャンプー、ヘアブラシ、子供用のTシャツやおもちゃ、チョコレートなどを届ける。