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{{Otheruses|ローマ皇帝ティベリウスの同名の父|第2代ローマ皇帝ティベリウス・クラウディウス・ネロ|ティベリウス|その他のティベリウス・クラウディウス・ネロ|ティベリウス・クラウディウス・ネロ (曖昧さ回避)}}
[[ファイル:Tiberius Nero.jpg|thumb|ティベリウス・クラウディウス・ネロ]]
'''ティベリウス・クラウディウス・ネロ'''('''{{lang-la|'''Tiberius Claudius Nero}}'''}} [[紀元前85年]]頃 - [[紀元前33年]]頃)は、[[ローマ帝国]]第2代皇帝[[ティベリウス]]の実父で、[[アウグストゥス]]の妻[[リウィア]]の最初の夫。
 
== 系譜 ==
その後[[共和政ローマ|ローマ]]はブルトゥス、カッシウスらの勢力と[[マルクス・アントニウス]]、オクタウィアヌス(のちの[[アウグストゥス]])、[[マルクス・アエミリウス・レピドゥス]]の[[第二回三頭政治|三頭官]](国家再建三人委員会)との間で[[フィリッピの戦い]]が行われた。この間ティベリウス・ネロはアントニウスに接近したようで、この後三頭官の間で確執が生じるとオクタウィアヌスに対立して行動していく。
 
[[紀元前41年]]に[[プラエトル|法務官]]に就任する。この年の冬にマルクス・アントニウスの弟でこの年の執政官[[ルキウス・アントニウス]]とマルクスの妻[[フルウィア (マルクス・アントニウスの妻)|フルウィア]]がオクタウィアヌスに反抗してペルシア(現在の[[ペルージャ]])で蜂起すると、ティベリウス・ネロもこれに加わった。ペルシアでの敗北後ティベリウス・ネロは妻子を連れてプラエネステ、ネアポリス(現[[ナポリ]])と逃走し、この間にも失敗に終わったものの、解放の条件で奴隷の軍団を組織しようとするなどしている。
 
その後、同じくオクタウィアヌスと対立していたポンペイウスの息子[[セクストゥス・ポンペイウス]]のいる[[シチリア島]]へ逃走したが、ポンペイウスから軍の指揮権を与えられなかったため、マルクス・アントニウスのいる[[アカイア]]へと渡った。
 
{{DEFAULTSORT:くらうていうす ねろ ていへりうす}}
[[Category:古代ローマの政治家]]
[[Category:紀元前1世紀の古代ローマ人]]
[[Category:クラウディウス氏族|ねろ ていへりうす]]
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