「平賀譲」の版間の差分

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* 仕事のことばかり考えていて、職場で私服から軍服に着替えるのを忘れてしまったり、食事を取るのも忘れて没頭してしまうほどであった。反面私生活では、家人に仕事の話をせず、休みは朝湯、[[将棋]]、映画鑑賞などに夢中になった<ref name="nagatolife">[[阿川弘之]]『軍艦長門の生涯・上』([[新潮文庫]]、1982年) ISBN 4-10-111007-7 第二章 p28~p39</ref>。
* 菊づくりが趣味で、庭に1200鉢あまりの菊を持っていた。賞も数多く受けるなどその腕はプロ級であった<ref name="nagatolife"/>。
* 生真面目な性格だったが、反面さばけたところもあり、[[東京大学|東京帝大]]総長時代の昭和15年([[1940年]](昭和15年)1月23日、宮中にて[[昭和天皇]]にご進講を行った際にはカフスに書き込みをして、「生まれて初めてのカンニングをした」と記者会見で白状。満座を爆笑させた<ref name="nagatolife"/>。
* [[太平洋戦争]]時は陸軍には好意的な態度をとらなかった。総長就任時、英語教育に力を入れたり、[[東条英機]]首相の卒業式参列には最後まで反対した。最終的には東条首相は式に参列し勇壮ながらも空疎な式辞を述べたのに対し、平賀の式辞は開戦以来の浮かれた気分を否定しアメリカの工業力や学力の軽視を戒め、「功を急ぐとは、自己の名利を急ぐの意味であって、これを大にしては国を誤り」と暗に軍部を批判するもので、すでに病魔に侵されていた平賀の声は、かぼそく淡淡としたものであった<ref name="nagatolife"/>。