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'''大野 治房'''(おおの はるふさ、? - [[1615年]]([[元和]]元年))は、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての[[武将]]。[[大野治長]]の弟で、[[大野治胤]]([[大野道犬]])の兄に当たる。
 
兄と共に[[豊臣秀吉]]、[[豊臣秀頼]]に仕えた。[[1614年]]からの[[大坂の陣]]では、兄と共に主戦派の中心人物の一人として指揮を執ったと言われている。[[大坂夏の陣]]後、秀頼の遺児・[[豊臣国松]]を擁して[[大坂城]]から脱出しようとしたが、徳川方に捕らわれて斬首された。だが、それを逃れて落ち延びたともされ、[[1649年]]に生存説が流れて幕府が捜索を行なうなどしている。