「宗谷海峡」の版間の差分

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== 概説 ==
* 宗谷海峡は日本名であり、[[国際水路機関]]が定める国際的な名称は、[[1787年]]にここを通過した[[フランス]]の探検家[[ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー|ラ・ペルーズ]]の名から'''ラ・ペルーズ海峡'''([[英語]]:''La Pérouse Strait'' {{lang-ru|Лаперуза}} ラペルザ。)<ref>[http://www.iho.int/iho_pubs/standard/S-23/S23_1953.pdf 「大洋と海の境界(第三版)」(Special Publication No.23)] No52 日本海の北東端として。宗谷海峡(Soya kaikyo)も括弧付で併記。</ref>である。[[1787年]]に当海峡を通過した[[フランス]]の探検家[[ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー|ラ・ペルーズ]]の名がその由来である。
* 深さは最深部60[[メートル|m]]ほどしかないので、[[最終氷期]]には[[陸橋 (生物地理)|陸橋]]となり、[[ユーラシア大陸]]と地続きであった<ref>[http://nh.kanagawa-museum.jp/kikaku/ondanka/pdffile/wt_08v101.pdf 日本にいる動物はどこから来たの?,神奈川県立生命の星・地球博物館,2004年]</ref>。
* 動物分布の[[分布境界線|境界線]]の一つである「[[八田三郎|八田線]]」が当海峡を通るとされる。
* 普段は日本海を北上し[[間宮海峡]]に至る[[対馬海流]](暖流)の一部がこの海峡からオホーツク海側に抜け、北海道沿いに流れる[[宗谷暖流]]になっている<ref name="aota etal1989"/>。海流の方向及び水温により、沿岸定着氷や[[流氷]]は少ないが、年間数日程度、[[稚内港]]方面に押し寄せ、船舶の航行に支障をきたすことがある<ref>[http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN1/soudan/kaihyo.html 海氷の知識 第一管区海上保安本部]</ref>。
* 西から東へと当海峡を暖流が流れているため、北方より「[[やませ]]」等の冷たい季節風が吹く日には、海峡内では夏でも[[海霧]]が立ちやすく、船舶内に[[レーダー]]等の装備が普及されていなかった頃は海峡内やその周辺で海難事故が度々発生していた。
* 樺太日本領時代は[[鉄道省]]が[[稚内市|稚内]]より[[大泊町|大泊]](現:[[コルサコフ (サハリン州)|コルサコフ]])に至る[[稚泊連絡船]]を運航していたが、現在は[[ハートランドフェリー]]が同じ区間で国際航路を運航している。
* 鉄道トンネル([[宗谷トンネル]])、ガスパイプライン([[サハリンプロジェクト]])等の海底トンネルを海峡下に貫通させる構想が戦前より存在するが、国際情勢の変化等により未だ建設決定には至っていない。
 
== 軍事上の要衝 ==