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'''降旗 元太郎'''(ふるはた もとたろう、[[元治]]元年([[1864年]])5月 - [[昭和]]6年([[1931年]])[[9月15日]]<ref>『官報』第1426号、昭和6年9月29日</ref>)は、日本の[[衆議院|衆議院議員]]([[憲政党]]→[[憲政本党]]→[[立憲同志会]]→[[憲政会]]→[[立憲民政党]])。
 
== 経歴 ==
[[信濃国]][[筑摩郡]][[本郷村 (長野県東筑摩郡)|本郷村]](現在の[[長野県]][[松本市]])出身。郷里で[[漢学]]を学んだ後、[[慶應義塾]]に入学した。[[1882年]]([[明治]]15年)、[[東京専門学校]](現在の[[早稲田大学]])に転じ、政治経済科を卒業した<ref name="re">『新選代議士列伝』p.343</ref>。卒業後は帰郷し、[[1886年]](明治19年)に信陽日報(のち信濃日報)の社長となった<ref name="da">『代議士詳覧』p.323</ref>。さらに本郷蚕種業組合組長・信濃[[蚕業]]伝習所長などの役職を歴任して、養蚕業の発展に貢献した<ref name="me">『新代議士名鑑』p.196</ref>。その他、出獄人保護院も設立している<ref name="yo">『衆議院要覧』</ref>。
 
[[1888年]](明治21年)、県会議員に選出され、[[1891年]](明治24年)には信濃民党を組織した<ref name="re"/>。[[1898年]](明治31年)、[[第5回衆議院議員総選挙]]に出馬し、当選。[[河野広中]]、[[中村弥六]]、[[花井卓蔵]]とともに[[普通選挙]]の実現に尽力した<ref name="me"/>。[[加藤高明内閣]]で[[鉄道省|鉄道]][[政務次官]]・[[陸軍省|陸軍]]政務次官、[[第1次若槻内閣]]で[[海軍省|海軍]]政務次官を歴任した。
 
== 親族 ==
*長男 [[降旗徳弥]](衆議院議員・逓信大臣)
*次男 高橋金弥(医学者、東筑摩郡朝日村の高橋家に養子入り)
*三男 降旗英弥(住友銀行副頭取)
 
==脚注==