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'''中畠 晴時'''(なかはた はるとき、[[元亀]]元年([[1570年]]) - [[天正]]18年[[11月19日 (旧暦)|11月19日]]([[1590年]][[12月15日]]))は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将で、[[白河結城氏]]の家臣。[[中畠晴常]]の子で[[中畠晴辰]]の弟。大学介。
 
兄・晴辰の跡を継ぐ。小田原落城後に奥州に進軍する[[豊臣秀吉]]に同調せず、秀吉が会津に向かった際、勢至堂峠の馬尾滝で秀吉を銃で狙撃する。弾を逸らし、秀吉殺害に失敗した晴時は隈井姓に変えて身を隠した。その後、[[蒲生氏郷]]に従い[[九戸政実]]の乱(九戸一揆)に出陣し、討死した。
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なお、[[松尾芭蕉]]と親交があった[[須賀川市|須賀川]]の俳人[[相楽等躬]]は、晴倶の五男[[相楽貞栄|貞栄]]の子(晴時の曾孫)にあたる。
 
[[Category{{デフォルトソート:結城氏|なかはた はるとき]]}}
[[Category:戦国武将|なかはたはるとき結城氏]]
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