「民間語源」の版間の差分

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'''民間語源'''(みんかんごげん、{{lang-en|folk etymology}}、{{lang-de|Volksetymologie}})とは、ある[[語]]の[[由来]]について、[[言語学]]的な根拠がないものをいう。[[学者|研究者]]や[[書籍]]が民間伝承([[フォークロア]])を採録してゆく際に伝承者の[[言説]]を無批判に採録した結果、権威づけられ、有力な反論があるにもかからず定着してしまったものがおおく、なかには明確な誤りだと分かっているものもある。研究者が独自に多言語間での[[音韻]]の類似に着目して提案した[[仮説]]である場合も多く、これには[[語呂合わせ]]に近いものも多い。'''民俗語源'''(みんぞくごげん)、'''通俗語源'''(つうぞくごげん)、'''語源俗解'''(ごげんぞっかい)とも呼ぶ<ref>三省堂大辞林weblio「語源俗解」[http://www.weblio.jp/content/%E8%AA%9E%E6%BA%90%E4%BF%97%E8%A7%A3]</ref>。ただし、音韻における類似は比較言語論において無視することはできない材料でもある。([[音読み]])
 
== 概要 ==
日常使う語や[[成句]]の由来([[語源]])に興味を持つ人は少なくないが、必ずしも言語学的に正しい[[説明]]がなされているわけではない。正しい語源が判明していても、誤った説のほうが広く流布していることがある。これらが民間語源と呼ばれる。民間語源が[[集落]][[部族]]に広く信じられている場合があり、このような物語の[[蒐集]][[分析]][[民俗学]]の研究対象となる。[[ジャワ島|ジャワ]]のサミン運動(東インド政庁に対する抵抗や挑発的言動)では多くの語源に性的なものが結びつけられ利用された<ref>『<資料・研究ノート>閉ざされた言語:サミン運動とその言語哲学』福島真人(東南アジア研究1987.03 京都大学)[http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56259/1/KJ00000131330.pdf][http://ci.nii.ac.jp/naid/110000200407]</ref>。民間語源のもつ共時的体系は「ことばの生きたかたち(は、)連想の網の目によって、ことばの一つ一つを逃げないようにしっかりとつなぎと(め、)没歴史的なこころのはたらきから現れ出る」<ref>『ことばの差別』田中克彦(農山漁村文化協会1980 P.37)</ref>ものであり、言語学的な説明や言葉の正確さではなく、言葉の意味作用の社会的な有用さそのものが重大な意味を持つことがある<ref>『両手の拳,社会,宇宙 ―手の指による数の指示法に組み込まれたキプシギスのコスモロジー―』小馬徹(国立民族学博物館研究報告Vol.014-1 1989.6.27)PDF-P.7(P.123)[http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/2986/2/KH_014_1_002-01.pdf][http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/handle/10502/2986]
</ref>。
 
一方で、このようなフィールドワーク的観点における蒐集活動ではなく、ある言語学者や民間研究者が他言語間の比較のなかで単語の語調の類似に着目するなどの方法をもって語源を類推するものがあり、その推論方法や仮説の設定方法の安直さがしばしば「語源俗解」だと批判されることがある。単語の語調や音素の類似に着目する場合、そもそも、[[人間]]の[[発音]]できる音素には限りがあるため、全く関係ないとされる言語間でも、偶然似た音の単語が似た[[意味]]を持つことは珍しくない。[[日本語]]と英語のように、言語学上関係がないとされる言語の間でも<!--誰によって? 文明の興りがエジプトや中東やローマであるなら日本語も英語も似ている点があるかもしれないという可能性を無視している。-->、「名前」と {{lang|en|"name"}}(名前)、「斬る」と {{lang|en|"kill"}}(殺す)、「掘る」と {{lang|en|"hole"}}(穴)、「坊や」(boya) と {{lang|en|"boy"}}(男の子)、「買う」の音読み「バイ」と {{lang|en|"buy"}}(買う)など、いくらでもこじつけられるため、民間語源説は後を絶たない。
 
しかし、現代において関連がないと思える国同士の言葉であっても、多くの史料による検証が可能で、[[文献学]]上の批判に堪えうる言語系統学上の仮説は語源俗解ではない。西欧におけるギリシャ・ラテン語の存在や漢字文化圏における呉音・唐音はその最たるものである。[[イタリア語]]、[[スペイン語]]、[[ポルトガル語]]には類似した音と意味を持つ単語が数多く存在しているが、これらの言語は[[ラテン語]]を祖としていることは広く認識されている。また、[[考古学]]上の発掘資料や文献学調査の結果として、一つの歴史的言語グループが交易上または国の盛衰において移動していることが確認できる場合があり ( [[シルクロード]]や[[ゲルマン民族の大移動]] )、言語系統の分布形式における民俗学的な推論や民族移動の形跡が論じられることもある。[[方言]]に見られるように体系的な調査の結果、音韻や音節に体系的な変化が発見でき、民族の移動や言語の伝播に従い気候などの変化や長い年月の経過に起因すると仮説される場合があり、このようなものはこじつけ(語源俗解)ではない。さらに、[[同音異義語]]においても単語の意味の由来において国名や地名と関連している場合もある。
 
語源俗解については、多くは似た発音の[[語]]と結び付ける安直で歴史的な史料に信頼できる裏づけが求められないものであり、[[異分析]]が頻繁に見られる。[[英語]]では、[[アスパラガス]] (Asparagus) がスパローグラス(Sparrow-grass,「[[スズメ|雀]]が食べる草」の意) に由来するという俗説や、ヒストリー (History, [[歴史]])がヒズ・ストーリー (His story, 彼の物語) に由来するという俗説が有名である。
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[[日本語]]においても、多くの民間語源が見られる。
 
=== 地名俗解 ===
* 現在の[[五島列島]]([[五島市]])のことを指した「'''チカシマ'''」(『[[古事記]]』では「知訶島」、『[[風土記]]』では「値嘉島」)の語源は「'''近いから'''」という説。
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* 支那は「秦」が訛ったという説。
* 大和(やまと)は「山門」または「山跡」の意とする説。
 
=== 地名以外 ===
* 「くだらない」は「くだりもの」(地方へ流通していく京都・上方の物産、特に[[灘五郷|灘]]の酒、地方産より上質とされた)には無いものという意味という説。その他、「[[百済]](くだら)」にも無いものとする説。