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== 歴史 ==
カラカルパクの最古の先祖は[[紀元前1世紀]]以後、[[アラル海]]南岸に住んでいた[[サカイ]],[[マッサゲタイ]]といった民族であった。[[2世紀]]末から[[4世紀]]にかけて東方から[[フン族]]が、また[[6世紀]]から[[8世紀]]には[[突厥]]が押し寄せ、部分的にテュルク化が始まり、[[ペチェネグ]][[オグズ]]といった民族が形成され、カラカルパクの成立も始まった。<ref>護、岡田 1990,p237</ref>
 
[[10世紀]]の初め、ペチェネグの一部は西方の南ロシアのステップへ移り、[[キエフ・ルーシ]]の領内に入った部族はロシアの年代記で「[[チョールヌィ・クロブキ|チョルヌイ・クロブキ]](黒い帽子)」と呼ばれた。[[ヴォルガ川]]と[[ウラル山脈]]の間に残ったペチェネグは[[イルティシュ川]]方面から移って来た[[キプチャク]]とまじり、その言語を取り入れた。<ref>護、岡田 1990,p237</ref>
 
16世紀、[[カザン・ハン国]]において、[[チンギス・カン|チンギス・ハーン]]の長子、[[ジョチ]]の末裔である[[ノガイ]]系の王族に統率された遊牧集団、すなわちノガイ人と共に[[ヴォルガ川]]流域に遊牧していた集団として、文献にはっきりと登場する。カザン滅亡後、[[シルダリア川|シルダリア]]流域に去った。<ref>護、岡田 1990,p237</ref>