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[[1946年]][[1月12日]]、20歳のときに[[強盗]]の罪で逮捕され、窃盗罪で[[懲役]]8~10年が宣告された。通常の窃盗罪は初犯では懲役2年となることが多いが、白人女性のソフィアと継続的な性的関係を持っていたため、通常よりも長い懲役刑を宣告された。収監されたチャールズタウン州刑務所ではあらゆるものを罵り、特に[[神]]と[[聖書]]に対する悪罵から彼は「[[サタン]]」と呼ばれた。
 
[[1948年]]に家族がマルコムを[[イスラム教]]に改宗させた。彼は獄中で[[イライジャ・ムハンマド]] ([[:en:Elijah Muhammad]]) の教徒と彼の行っていた[[ブラック・ムスリム運動]]に出会い、その教えを勤勉に研究した。マルコムはイライジャと[[文通]]を行い、独学で知識を進歩させ、手紙を毎日書いた。異母姉のエラは、彼をより自由のきくノーフォークの[[マサチューセッツ州]]刑務所へ移送する支援をした。そこで彼は熱心な指導者となり、歴史上および哲学上にイライジャ・ムハンマドの教えとNOIの正当性を発見した。彼は刑務所内の毎週の討論会に参加し、知識を広げ、筆跡を改善するために[[刑務所図書館]]の全辞書を筆写したりもした。その際、[[刑務所]]内で勉強するためとして割り当てられていた時間を越えて消灯後も[[独房]]内で月明かりや通路の照明だけを頼りに本を読み辞書を筆写していたため、収監前は2.0あった[[視力]]が0.2まで落ち、後に[[トレードマークとなるサーモント型の近眼鏡]]購入常用することようになった。出所後、一躍名を知られるようになったマルコムはテレビやラジオ、雑誌等マスコミのインタビューで、刑務所内で磨かれた卓抜すぎる言葉遣いや知性の高さが窺える仕草から一流の大学を卒業しているのだろう、と勝手に推測され、出身大学はどこかと訊ねられた時には刑務所内の[[図書館]]だ、と答えている。マルコムは自伝で、[[大学]]や[[大学院]]を卒業している黒人を「白人に従順になるように調教されたことに気付かない哀れな[[家畜]]だ」と述べている。
 
マルコムは[[1952年]][[8月7日]]に釈放され、[[スーツケース]]と[[眼鏡]]、[[時計]]を購入した。後に彼はこれらのものが、自分の人生の中で最も役に立ったアイテムだったと語った。