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{{要出典|範囲=[[江戸時代]]には、芸人は芸を披露することで[[関所]]を[[通行手形|手形]]なしで通ることができた。|date=2014年11月}}
明治の初年には[[鑑札]]制度(当時は「遊芸稼人」と呼称)が敷かれ、国家体制に組み入れられ納税が義務付けられる。明治10年代には[[富国強兵]]体制の中、『国家に益無き遊芸』という政府の見解が出、芸人は非常に肩身の狭い思いをする。海外でオペラ「[[ミカド]]」が上演され評判になると、その日本観の流布に危機感を抱いた明治政府は、[[鹿鳴館]]、[[東京音楽学校]]の設立、[[歌舞伎]]の改良などに取り組み、日本が文化的に劣っていない事をアピールしようとする。そんな中で[[教部省]]が優れた芸人を[[教部職]]に任命し、国家体制に一層組み込む事を企図する([[市川団十郎]]、[[三遊亭圓朝]]、[[松林伯圓]]など)。芸人の管理はまもなく教部省から[[内務省]]に移り、各道府県警察により鑑札制の運用や、[[臨官席]]が設けられるようになる。[[劇場]]と[[寄席]]の違いも明確化されるように整備される。
 
== 関連項目 ==