「深雪 (駆逐艦)」の版間の差分

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[[1934年]](昭和9年)6月29日{{Sfn|第二次大戦駆逐艦総覧|2000|p=192}}、[[済州島]]南方沖({{coord|33|00|N|125|30|E|display=inline,title}})で演習中に、駆逐艦「[[電 (吹雪型駆逐艦)|電]]」が「深雪」の艦中央部に衝突した。「深雪」の船体は断裂し、後部はその場で沈没、前部は「[[那珂 (軽巡洋艦)|那珂]]」が佐世保へ曳航しようとしたが、途中で断念し放棄された。3名が死亡、2名が行方不明となった。同年8月15日に除籍された<ref>{{cite web | url= http://homepage2.nifty.com/nishidah/stc0423.htm| title= 吹雪 級 一等駆逐艦 | last= Nishida | first= Hiroshi | year= 2002 |month= | work= Materials of the Imperial Japanese Navy | publisher= |accessdate=2013-10-25}}</ref>。
 
なお、艦艇研究家の[[福井静夫]]によれば、「深雪」亡失の最大の原因は「電」との衝突の傷ではなく、衝突後に「深雪」乗員の手で行われた不適切な応急処置にあるとしており、もし応急処置が適切に行われていたなら亡失は避けられたとされている。
 
また応急の不徹底は当時の海軍でも重く受け止められ、これ以降日本海軍では応急教育の徹底化がなされている。
 
「深雪」は吹雪型(特型)駆逐艦以降の駆逐艦の中で[[第二次世界大戦]]に参戦していない唯一の駆逐艦であり、また、日本の駆逐艦同士の衝突で沈没した唯一の駆逐艦である。