「インディアン戦争」の版間の差分

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Tahuantinsuyo (会話 | 投稿記録)
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=== インディアンを巻き込んだヨーロッパ列強の対立 ===
[[1688年]]に始まった[[大同盟戦争]]以降、ヨーロッパでの対立構図がそのまま[[北アメリカ]]に持ち込まれ、主にイギリスの北アメリカ植民地とフランスのヌーベルフランスとの間に抗争が繰り返された。[[1689年]]の[[ウィリアム王戦争]]、[[1702年]]の[[アン女王戦争]]、[[1722年]]の[[ラル神父戦争]]、[[1744年]]の[[ジョージ王戦争]]、[[1749年]]の{{仮リンク|ル・ロウター神父の戦争|en|Father Le Loutre's War}}および[[1756年]]の[[フレンチ・インディアン戦争]]である。これらを総称して[[北米植民地戦争]]とも呼ばれる。フランスとイギリスは、必ずその同盟インディアンを戦争に動員して戦った。
 
アメリカ植民地やヌーベルフランスでは、フランスの同盟相手は[[五大湖地域|五大湖地方]]の[[アルゴンキン語族]]系インディアン部族であったが、南部[[フランス領ルイジアナ]]では[[チョクトー族]]が同盟相手であった。これに対してイギリスはそれぞれフランスと同盟する部族と敵対的な部族を選び、北部ではイロコイ族、南部では[[チカソー族]]と同盟を結んだ。ミシシッピ川の通行がからむフランス・チョクトー族同盟軍とチカソー族の戦いは、[[チカソー戦争]] (1720-1760) と呼ばれる。