「日本大学第三中学校・高等学校」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
38行目:
 
旧制赤坂中学校の運営を担うこととなった日本大学は、[[1929年]](昭和4年)10月の合併当初より、同校の校名を'''日本大学付属赤坂中学校'''としていたが、学校経営の改革と統治を推し進めるなか、翌[[1930年]](昭和5年)10月、同校の校名を'''日本大学第三中学校'''と改称。さらには、旧来の学校組織を刷新し、日本大学本部より[[鎌田彦一]]を同校の総務に配属し、経営再建に当らせた。その後、[[理事長]]・[[校長]]に就任する鎌田によって、現在の日大三中・三高の基礎が築かれた。
また、鎌田は、日大三中開校当初より、硬式野球部の強化に努め、戦前より全国レベルの力を保持する名門野球部の構築に大きく貢献した。同野球部は過去、甲子園大会で優勝3回([[第43回選抜高等学校野球大会|1971年春]]・[[第83回全国高等学校野球選手権大会|2001年夏]]・[[第93回全国高等学校野球選手権大会|2011年夏]])、準優勝3回([[第34回選抜高等学校野球大会|1962年春]]・[[第44回選抜高等学校野球大会|1972年春]]・[[第82回選抜高等学校野球大会|2010年春]])、明治神宮大会で優勝1回(1951(2010年)を果たしている。(日大三高赤坂時代の硬式野球部練習場兼合宿所は、東京・調布市柴崎に在り、彼の地をかつての鎌田の功績と遺徳を偲んで、別名・“鎌田球場”と称していた。現在、同地は[[鹿島建設]]柴崎グラウンドとしてかつての面影を今に残している。)
 
前述のとおり、同校は前身の商工中学校の移転以来、永らく東京・赤坂の地に本拠を置いていたが、[[1976年]](昭和51年)4月、将来の教育に対応する理想的な環境を求め、東京都町田市に15万㎡の校地を擁する『丘の上のキャンパス』を建設し全面移転した。その後、中高共学化、高等学校に特別進学クラスとスポーツクラスを設置するなどの学校改革を経て現在に至る。