「河村たかし」の版間の差分

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|愛知1区
|5回
|民党→無所属→日本新党→<br>新進党→自由党→無所属→民主党
→日本新党→新進党→
自由党→無所属→民主党
|中小企業局次長<br>愛知県総支部連合会顧問
|衆・第1議員会館537号室
== プロフィール・人物 ==
*昭和23年(1948年)11月3日に生まれる。家業は古紙回収業の河村商事[[株式会社]]。[[愛知県立旭丘高等学校]]を経て、昭和47年([[1972年]])[[一橋大学]][[商学部]]を卒業後、実家の会社に勤務しながら(2002年退社し長男が継ぐ)、[[司法試験]]を8回受験するも不合格。
*次第に政治への関心を強め、[[民社党]][[春日一幸]]の秘書となるも党公認を受けられず。さらに、[[無所属]]で名古屋市長選に出馬しようとしたが、これも春日の圧力で断念、民社党を離れる。その結果、平成2年([[1990年]])愛知1区(旧)から無所属(自民党宮沢派の支援を受ける)で立候補するが落選する。
*平成5年([[1993年]])7月[[第40回衆議院議員総選挙]]に[[日本新党]]公認で愛知1区(旧)から立候補し当選する。以後、当選4回。平成6年([[1994年]])[[新進党]]に参加する。しかし、新進党が[[小沢一郎]]の純化路線によって分裂すると、当初[[自由党]]に参加するが、平成10年([[1998年]])4月に離党し、無所属を経て、同年12月[[民主党 (1996-)|民主党]]に参加する。
*平成14年([[2002年]])9月の代表選挙では、[[菅直人]]、[[鳩山由紀夫]]の二枚看板(いわゆる「鳩菅体制」)に危機感を覚え、世代交代を図るため[[野田佳彦]]、[[前原誠司]]、[[松沢成文]]らと「第二期民主党をつくる有志の会」を結成する。平成17年([[2005年]])9月の民主党代表選挙に名乗りを上げたが、推薦人20人を確保できず(18名まで確保)、立候補を断念した。平成18年([[2006年]])3月31日に前原執行部が総辞職した際にも逸早く代表選立候補を表明し、朝からテレビに出演し自身をアピールしたが、締切りである4月7日10時までに推薦人20人どころか10人にも到達せずまたも出馬を断念。なお、民主党の代表選に河村が出馬を表明し、立候補を断念するパターンは'''「民主党代表選の風物詩」'''と呼ばれている。
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