「恵那櫻徹」の版間の差分

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|生涯戦歴=555勝565敗(105場所)
|幕内戦歴=175勝215敗(26場所)
|優勝=十両優勝1
|賞=[[敢闘賞]]1
|初土俵=[[1977年]]3月場所
|入幕=[[1987年]]11月場所
 
== 来歴・人物 ==
岐阜県立[[岐阜県立恵那北高等学校|恵那北高校]](※2007年3月限りで廃校となり、岐阜県立中津高校へ統合)を中退後、押尾川部屋に入門。もともとは料理人志望で、中学卒業後は料理の専門学校に通うつもりでいた。入門の動機は、[[押尾川]]親方(元[[大関]]・[[大麒麟將能|大麒麟]])から勧誘を受けた時に「力士になれば、[[ちゃんこ鍋|ちゃんこ料理]]を作れるよ」と言われた事だという。なお、父親は[[タクシー]]運転手であった。
 
[[1977年]]3月場所にて、16歳で[[初土俵]]を踏んだ。当初の[[四股名]]は、本名でもある「早川」。同部屋の同期生には[[騏ノ嵐和敏|騏乃嵐]]、[[佐賀昇博|佐賀昇]]がおり、3人とも[[幕内]]まで出世した(ただし、3人が同時に幕内に在位した事はない)。
真面目な性格で稽古熱心。回転のいい突っ張りに威力があったが、現役晩年に肘を痛めた事もあり、[[三役]]にはあと一歩届かなかった。しかし晩年は[[骨折]]を押してまで本場所に出場し、十両優勝を成し遂げた事もあった。
 
因みに四股名の由来は、出身地である中津川市付近に位置する[[故郷の岐阜県恵那山]]と、憧れの力士であった[[富士櫻栄守|富士櫻]](最高位・[[関脇]]、前・[[中村 (相撲)|中村]]親方)の「櫻」である。
 
[[序ノ口]]から一度も休まず相撲を取り続け、[[1994年]]7月場所を最後に33歳で[[引退]]。
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