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[[File:Pietro Arduino.png|thumb|right|Pietro Arduino]]
'''ピエトロ・アルディーノ'''(Pietro Arduino、[[1728年]][[7月18日]] - [[1805年]][[4月13日]])は、[[イタリア]]の[[農学]]者、[[植物学]]者、[[博物学]]者である。
 
==略歴==
現在の[[ヴェネト州]][[ヴェローナ県]]の[[カプリーノ・ヴェロネーゼ]]で生まれた。[[ヴェローナ]]に住むフランスの植物学者、[[ジャン=フランソワ・セギエ(Jean François Seguier)]]に学び、マッフェイ侯爵、シピオーネ(Francesco Scipione, marchese di Maffei)の屋敷で働いた。セギエの推薦でパドヴァ植物園長のジュリオ・ポンテデーラ(Giulio Pontedera)に紹介された。[[パドヴァ大学]]の農学研究所(Cathedra ad Agriculturam Exsperimentalem)で働いた後、パドヴァ植物園の学芸員を務め、業績を上げた。
 
著書にパドヴァ植物園で栽培されていた12の植物を図とともに記述した"''Animadversionum botanicarum specimen''"と20以上の新種、希少植物を記述した"''Memorie di osservazioni e di sperienze sopra la cultura e gli usi di varie plante''"がある。
 
アルディーノの仕事は[[カール・フォン・リンネ]]に高く評価され、リンネによって[[シソ科]]の種、{{snamei|Sv|Teucrium arduinoi}}などにアルディーノの名前をつけられた。
 
兄に有名な地理学者、ジョヴァンニ・アルディーノがいる。