「篠田正浩」の版間の差分

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| 本名 =
| 別名義 =
| 出生地 = {{JPN}} [[岐阜県]][[岐阜市]]
| 死没地 =
| 国籍 =
| 没月 =
| 没日 =
| 職業 = 元[[映画監督]]<br/>株式会社表現社[[代表取締役]]<br/>[[早稲田大学]]特命教授<br/>日本中国文化交流協会代表理事
| ジャンル = [[映画]]
| 活動期間 = [[1960年]] - [[2003年]]<br />映画監督
| 活動内容 =
| 配偶者 = [[岩下志麻]] ([[俳優|女優1967年]] -
| 著名な家族 = 従姉:[[篠田桃紅]] (従姉)
| 事務所 =
| 公式サイト =
| 主な作品 = <!-- 皆が認める代表作品を入力 -->『[[心中天網島 (映画)|心中天網島]]』<br />『[[はなれ瞽女おりん]]』<br />『[[少年時代]]』<br />『[[写楽 (映画)|写楽]]』
| アカデミー賞 =
| AFI賞 =
| ゴヤ賞 =
| グラミー賞 =
| ブルーリボン賞 = '''監督作品賞'''<br />1985年 『[[1990瀬戸内少野球団]]』<br />1991年 『少年時代』<br />'''監督賞'''<br />1991年 [[少年時代]]
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 = '''優秀監督賞'''<br />[[1978第14回日本アカデミー賞|1991年]] 『[[はなれ瞽女おりん少年時代]]』
| ベルリン国際映画祭 = '''[[銀熊賞 (芸術貢献賞)|銀熊賞 (芸術貢献賞)]]'''<br />[[第36回ベルリン国際映画祭|1986年]] 『[[鑓の権三]]』
| その他の賞 =
| 備考 =
}}
'''篠田 正浩''' (しのだ まさひろ、[[1931年]][[3月9日]] - ) は、[[日本]]の[[映画監督]]。株式会社表現社代表取締役、[[早稲田大学]]特命教授<ref name = "宇宙船106">{{Cite journal |和書|date=2003-05-01 |title=監督・篠田正浩インタビュー |journal=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]] |volume=Vol.106 |issue=(2003年5月号) |page=27 |publisher=[[朝日ソノラマ]] |id=雑誌コード:01843-05}}</ref> - )は、[[岐阜県]][[岐阜市]]出身の[[映画監督]]。株式会社表現社代表取締役、[[早稲田大学]]特命教授<ref name = "宇宙船106" />、[[日本中国文化交流協会]]代表理事。
 
== 概説経歴 ==
[[1931年]][[3月9日]]、[[岐阜県]][[岐阜市]]で生まれた<ref name = "宇宙船106" />。[[岐阜県立加納高等学校]]を卒業後、早稲田大学[[第一文学部]]卒業に進学<ref name = "宇宙船106" />。大学卒業後、[[松竹大船撮影所|松竹]]に入社した<ref name = "宇宙船106" />。
 
[[1960年代]]にかけて[[大島渚]]、[[吉田喜重]]とともに[[日本ヌーヴェルヴァーグ#松竹ヌーヴェルヴァーグ|松竹ヌーベルバーグ]]の旗手と呼ばれ<ref name="mainichi">勝田友己によるインタビュー、[[山田洋次]]「時代を駆ける:山田洋次:YOJI YAMADA (4)」 『[[毎日新聞]]』 2010年1月25日、13版、5面。</ref>。早々に会社と衝突して独立した他の二人と異なり、[[篠田は松竹]]にしばらく残った後、[[1966年]]にフリーになり、翌[[1967年]]に独立プロダクションの表現社を設立した難解な前衛的作品も辞さない大島吉田に比べ、篠田は平易なサーヴィス精神も持ち合わせており、独立後の60年代後半から[[1970年代こそ尖|70年代]]前半は『[[心中天網島 (映画)|心中天網島]]』([[1969年]])や『[[無頼漢 (映画)|無頼漢]]』([[1970年]])などの先鋭的な作品を連発したものの198070年代に入ると後半からは『[[はなれ瞽女おりん]]』([[1977年]])や『[[鑓の権三]]』([[1986年]])などの{{要出典範囲|date=2012年10月|娯楽大作を安心して委ねられる巨匠といったポジション}}に落ち着いた。[[20031990年]]、『[[少年時代]]』で[[第14回日本アカデミー賞]]の作品賞・監督賞を受賞。[[カンヌ国際映画祭]]のコンペティション部門へは『[[写楽 (映画)|写楽]]』([[1995年]])など3度の出を果たした。[[2003年]]、大作『[[スパイ・ゾルゲ]]』をもって最後に映画監督からの引退を発表した。
 
また、1986年から[[1987年]]の[[TBSテレビ|TBS]]系列番組『[[日本が知りたい]]』ではキャスターも務めた。
妻は、女優の[[岩下志麻]]。[[美術家]]の[[篠田桃紅]]は従姉にあたる。先妻は早稲田大学時代のクラスメートだった詩人の[[白石かずこ]]。[[広島東洋カープ|広島カープ]]ファンでもある。
 
== 人物 ==
高校時代は400m走の選手だったこともあり、大学入学時に[[早稲田大学競走部|早大競走部]]に入部。当時の早大競走部の長距離コーチで、後に[[近代オリンピック|オリンピック]][[マラソン]]代表の[[瀬古利彦]]を育てる[[中村清]]に長距離転向を促され、1年生で1950年の[[東京箱根間往復大学駅伝競走]](箱根駅伝)に出場し、「花の2区」を走った。翌年に脚の故障で陸上選手を断念した<ref>「私の奈良 篠田正浩3」『[[週刊新潮]]』2011念6月16日号、p.150</ref>(ただし、当時は3区がエース区間で、2区は現在でいうエースクラスが集う区間ではなかった)。<!--{{いつ範囲|date=2012年10月|以前に箱根駅伝の[[シンポジウム]]で}}、「箱根駅伝は箱根の山を目指し、その先には[[富士山]]がある。だから箱根駅伝とは、若者が正月から日本の[[霊峰]]を目指して走る[[神事]]だ」とのコメントを残している。-->大学駅伝に対しては強い思い入れを持っており、毎年シーズンになると熱心に観入っているという。特に箱根駅伝については「箱根駅伝は一種の神事だと思うんだ。お正月から、若者たちが箱根の山に向かって走るわけだ。たすきは各校の御輿でね。」とインタビューで答えている<ref>{{Cite news |title=特集:箱根駅伝:お正月の「神事」 篠田正浩さん(映画監督) |url=http://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden/2014/feature/20131119-OYT8T00517.htm |newspaper=[[読売新聞|YOMIURI ONLINE]] |date=2013-11-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140621012435/http://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden/2014/feature/20131119-OYT8T00517.htm |archivedate=2014-06-21 |accessdate=2014-06-21 }}</ref>。
妻は[[俳優|女優]]の[[岩下志麻]]。[[美術家]]の[[篠田桃紅]]は従姉にたる。先妻は早稲田大学時代のクラスメートだった詩人の[[白石かずこ]]。[[広島東洋カープ|広島カープ]]ファンである。
 
高校時代は400m走の選手だったこともあり、大学入学時に[[早稲田大学競走部|早大競走部]]に入部。当時の早大競走部の長距離コーチで、後に[[近代オリンピック|オリンピック]][[マラソン]]代表の[[瀬古利彦]]を育て[[中村清]]に長距離転向を促され、1年生で[[1950年]]の[[東京箱根間往復大学駅伝競走]](|箱根駅伝]]に出場し、「花の2区」を走った。翌[[1951]]の故障で陸上選手を断念した<ref>「私の奈良 篠田正浩3」『[[週刊新潮]]』2011念6月16日号、p.150</ref>(ただし、当時は3区がエース区間で、2区は現在でいうエースクラスが集う区間ではなかった)。<!--{{いつ範囲|date=2012年10月|以前に箱根駅伝の[[シンポジウム]]で}}、「箱根駅伝は箱根の山を目指し、その先には[[富士山]]がある。だから箱根駅伝とは、若者が正月から日本の[[霊峰]]を目指して走る[[神事]]だ」とのコメントを残している。-->大学駅伝に対しては強い思い入れを持っており、毎年シーズンになると熱心に観入っているという。特に箱根駅伝については「箱根駅伝は一種の神事だと思うんだ。お正月から、若者たちが箱根の山に向かって走るわけだ。たすきは各校の御輿でね。」とインタビューで答えている<ref>{{Cite news |title=特集:箱根駅伝:お正月の「神事」 篠田正浩さん(映画監督) |url=http://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden/2014/feature/20131119-OYT8T00517.htm |newspaper=[[読売新聞|YOMIURI ONLINE]] |date=2013-11-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140621012435/http://www.yomiuri.co.jp/sports/ekiden/2014/feature/20131119-OYT8T00517.htm |archivedate=2014-06-21 |accessdate=2014-06-21 }}</ref>。
 
== 監督作品 ==
* [[恋の片道切符 (映画)|恋の片道切符]] ([[1960年]])
* [[乾いた湖]] (1960年脚本:[[寺山修司]]
* [[三味線とオートバイ]] ([[1961年]]原作:[[川口松太郎]]
* [[わが恋の旅路]] (1961年原作:[[曽野綾子]]、脚本:寺山修司
* [[夕陽に赤い俺の顔]] (1961年脚本:寺山修司
* [[涙を、獅子のたて髪に]] ([[1962年]]脚本:寺山修司・水沼一郎・篠田正浩
* [[山の讃歌 燃ゆる若者たち]] (1962年脚本:[[白坂依志夫]]
* [[私たちの結婚]] (1962年脚本:[[松山善三]]・篠田正浩
* [[暗殺 (映画)|暗殺]] ([[1964年]]原作:[[司馬遼太郎]]
* [[乾いた花 (映画)|乾いた花]] (1964年原作:[[石原慎太郎]])※[[カンヌ国際映画祭|カンヌ映画祭]]招待作品
* [[美しさと哀しみと]] ([[1965年]]原作:[[川端康成]]
* [[異聞猿飛佐助]] (1965年)
* [[処刑の島]] ([[1966年]]原作:[[武田泰淳]]、脚本:石原慎太郎
* [[あかね雲 (小説)|あかね雲]] ([[1967年]])
* [[心中天網島 (映画)|心中天網島]] ([[1969年]]原作:[[近松門左衛門]]、脚本:[[富岡多恵子]]・[[武満徹]]・篠田正浩)※[[ヴェネツィア国際映画祭|ヴェネツィア映画祭]]招待作品、[[ロンドン映画祭]]招待作品
* [[無頼漢 (映画)|無頼漢]] ([[1970年]]脚本:寺山修司)※アデレード映画祭批評家賞
* [[沈黙 (遠藤周作)#映画版|沈黙 SILENCE]] ([[1971年]]原作:[[遠藤周作]])※カンヌ映画祭コンペティション出品
* [[札幌オリンピック (映画)|札幌オリンピック]] ([[1972年]]、記録映画)※[[ゴールデ) ドキュメグローブ賞]]長編記録映画賞ノミネタリ
* [[化石の森 (石原慎太郎)#映画|化石の森]] ([[1973年]]原作:[[石原慎太郎]]
* [[卑弥呼 (映画)|卑弥呼]] ([[1974年]])※映画祭コンペティション出品
* [[桜の森の満開の下]] ([[1975年]]原作:[[坂口安吾]]
* [[はなれ瞽女おりん]] ([[1977年]]原作:[[水上勉]])※アジア映画祭監督賞
* [[夜叉ヶ池 (戯曲)#映画|夜叉ヶ池]] ([[1979年]]原作:[[泉鏡花]]
* [[悪霊島#映画|悪霊島]] ([[1981年]]原作:[[横溝正史]]
* [[瀬戸内少年野球団]] ([[1984年]]原作:[[阿久悠]])※ヒューストン映画祭外国語映画賞
* ALLUSION[[鑓の権三]] -転生譚-([[19851986年]]) 原作:近松門左衛門
* [[鑓の権三舞姫]] ([[19861989年]]原作:近松門左衛門)※[[ベルリン国際映画祭|ベルリン映画祭森鷗外]]銀熊賞
* [[舞姫少年時代]] ([[19891990年]]原作:[[森鷗外藤子不二雄A]]
* [[少年時代写楽 (映画)|写楽]] ([[19901995年]]原作:[[皆川博不二雄A]])※[[日本アカデミー賞]]最優秀作品賞
* [[瀬戸内ムーンライト・セレナーデ]] ([[1997年]]原作:阿久悠)※ベルリン映画祭コンペティション出品
* [[写楽 (映画)|写楽]]([[1995年]]、原作:[[皆川博子]])※カンヌ映画祭コンペティション出品
* [[梟の城|梟の城 owl's castle]] ([[1999年]]原作:[[司馬遼太郎]])※[[富川国際ファンタスティック映画祭]]・監督賞
* [[瀬戸内ムーンライト・セレナーデ]]([[1997年]]、原作:阿久悠)※ベルリン映画祭コンペティション出品
* [[スパイ・ゾルゲ]] ([[2003年]])
* [[梟の城|梟の城 owl's castle]]([[1999年]]、原作:[[司馬遼太郎]])※[[富川国際ファンタスティック映画祭]]・監督賞
* [[スパイ・ゾルゲ]]([[2003年]])
 
== 主な著書 ==
*『路上[[源義経|義経]]中の安息 篠田正浩評論集 [[幻戯書房フィルムアート社]]、20131979
*『[[エイゼンシュテイン]] 20世紀思想家文庫』 [[岩波書店]]、1983年
*『河原者ノススメ 死穢と修羅の記憶』 幻戯書房、2009年
*『[[日本語]]の語法で撮りたい』 [[NHKブックス]]:[[日本放送出版協会]]、1995年
*『私が生きたふたつの「日本」』 [[五月書房]]、2003年
*『監督、撮らずに観る 映画館では見えてこない映画の話』 ステレオサウンド、1997年
*『私が生きたふたつの「日本」』 [[五月書房]]、2003年
*『[[日本語]]の語法で撮りたい』 [[NHKブックス]]:[[日本放送出版協会]]、1995年
*『河原者ノススメ 死穢と修羅の記憶』 幻戯書房、2009年
*『[[エイゼンシュテイン]] 20世紀思想家文庫』 [[岩波書店]]、1983年
*『路上中の安息 篠田正浩評論集[[源義経|義経]] [[フィルムアート社幻戯書房]]、19792013
 
== 受賞歴 ==
* 第14回 - [[日本アカデミー賞]]優秀監督賞・最優秀監督賞([[1991年]]、『少年時代』)
* 第38回 - [[泉鏡花文学賞]]([[2010年]]、『河原者ノススメ―死穢と修羅の記憶』)
 
== 出演 ==
===TV テレビ ===
* [[日本が知りたい]] (キャスターとして。TBS、1986-1987年)
* [[私の履歴書]] (第18回シリーズ主人公・同名コラム原作 BSジャパン)
 
=== CM ===
* [[塩野義製薬]] シオノギS胃腸薬 (1983年)
 
== 受賞・ノミネート ==
===CM===
* [[1969年]] [[ヴェネツィア国際映画祭]]出品、[[ロンドン映画祭]]出品 (『[[心中天網島 (映画)|心中天網島]]』)
* [[塩野義製薬]] シオノギS胃腸薬(1983年)
* [[1970年]] [[キネマ旬報]]作品賞・監督賞受賞 (『心中天網島』)
* 1970年 [[毎日映画コンクール]]作品賞受賞 (『心中天網島』)
* 1970年 アデレード映画祭批評家賞受賞 (『無頼漢』)
* [[1972年]] [[第25回カンヌ国際映画祭]]コンペティション部門出品 (『[[沈黙 (遠藤周作)#映画版|沈黙 SILENCE]]』)
* 1972年 毎日映画コンクール作品賞・監督賞受賞 (『沈黙 SILENCE』)
* [[1973年]] [[ゴールデングローブ賞]]長編ドキュメンタリー映画賞ノミネート (『[[札幌オリンピック (映画)|札幌オリンピック]]』)
* [[1974年]] [[第27回カンヌ国際映画祭]]コンペティション部門出品 (『[[卑弥呼 (映画)|卑弥呼]]』)
* [[1977年]] [[アジア太平洋映画祭]]監督賞受賞 (『[[はなれ瞽女おりん]]』)
* [[1978年]] [[第1回日本アカデミー賞]]作品賞・監督賞ノミネート (『はなれ瞽女おりん』)
* [[1984年]] ヒューストン映画祭外国語映画賞受賞 (『[[瀬戸内少年野球団]]』)
* [[1985年]] [[第8回日本アカデミー賞]]作品賞・監督賞ノミネート (『瀬戸内少年野球団』)
* 1985年 [[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]作品賞受賞 (『瀬戸内少年野球団』)
* [[1986年]] [[第36回ベルリン国際映画祭]][[銀熊賞 (芸術貢献賞)]]受賞 (『[[鑓の権三]]』)
* 第14回 -[[1991年]] [[第14回日本アカデミー賞]]優秀監督作品賞・最優秀監督賞受賞 [[1991年]]、『少年時代]]』)
* 1991年 ブルーリボン賞作品賞・監督賞受賞 (『少年時代』)
* 1991年 毎日映画コンクール作品賞受賞 (『少年時代』)
* [[1995年]] [[第48回カンヌ国際映画祭]]コンペティション部門出品 (『[[写楽 (映画)|写楽]]』)
* [[1996年]] [[第19回日本アカデミー賞]]編集賞受賞、作品賞・監督賞・脚本賞ノミネート (『写楽』)
* [[1997年]] [[第47回ベルリン国際映画祭]]コンペティション部門出品 (『[[瀬戸内ムーンナイト・セレナーデ]]』)
* [[1999年]] [[富川国際ファンタスティック映画祭]]監督賞受賞 (『[[梟の城|梟の城 owl's castle]]』)
* [[2000年]] [[第23回日本アカデミー賞]]作品賞・監督賞ノミネート (『梟の城 owl's castle』)
* [[2004年]] [[第27回日本アカデミー賞]]作品賞・監督賞・脚本賞ノミネート (『[[スパイ・ゾルゲ]]』)
* [[2010年]] 第38回 - [[泉鏡花文学賞]]受賞 [[2010年]]、『河原者ノススメ―死穢と修羅の記憶』)
 
== 関連人物 ==
2,614

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