「チャールズ・グッドイヤー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m Novakovic2014 (会話) による版を 221.94.14.18 による版へ巻き戻し
龍伯 (会話 | 投稿記録)
30行目:
硫黄がゴムの性質を変えることは分かったものの、どの程度の熱を加えれば良いかはいまだ不明確だった。彼はゴム片を熱い砂の中に入れて加熱したり、マシュマロのように焼いてみたり、やかんの上で蒸気を当てたり、アイロンで熱したりと、胃痛と[[痛風]]に悩まされ、足を引きずりながら実験を続けた。
 
その頃、一家は[[マサチューセッツ州]][[ーバン (マサチュセッツ州)|ウーバ]]で極貧生活を送っていた。彼は実験を続けるため、家財道具のほとんどを売り払った。皿がなくなったときは、ゴムで皿を作った。ついに食費にもこと欠くようになった。所用で[[ボストン]]に行ったとき、ホテル代の5ドルを払えず拘留された。釈放されて自宅に戻ると、彼の息子の一人が死んでいた。グッドイヤーは葬儀代が払えず、借りた馬車で小さな棺を墓地まで運んだ。彼の12人の子供のうち、6人が幼少時に死亡している。
 
実験の末、彼は[[華氏]]約270度を維持し、4~6時間蒸気で圧力をかけた際に一定の結果を得られることを発見した。その実験結果を基に、ニューヨークへ行き、ウィリアム・ライダーにサンプルを見せてゴム製造の出資を仰ごうとしたが、ライダー商会は倒産状態で、資金の獲得には失敗した。彼はマサチューセッツ州スプリングフィールドで、成功した紡織業者だった義理の兄弟デ・フォレストから援助をとりつけ、1842年にゴム工場を立ち上げた。彼は弟のネルソンとヘンリーに管理を任せ、同社は1844年に、ゴムを混合する機械をはじめて導入している。