「久米三十六姓」の版間の差分

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'''久米三十六姓'''(くめさんじゅうろくせい)とは、[[1392年]]に[[明]]の[[洪武帝]]より[[琉球王国]]に下賜されたとされる[[ビン南語|閩人]](現・[[福建省]]の中国人)の職能集団、及びその後三百年間にわたり閩から渡来した者や首里・那覇士族から迎え入れた人々の総称。
 
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『[[朝鮮王朝実録]]』の成化25年(1470年)の朝鮮人琉球漂流記に「(那覇には)唐人商販に来たりて、因りて居する者あり」<ref>『[http://sillok.history.go.kr/inspection/inspection.jsp?mTree=0&id=kia 李朝実録]』成宗十年 六月十日条:「唐人商販來有因居者」</ref>との記述があり、15世紀には商売目的で琉球に渡来居住していた中国人がいたことが分かる。それゆえ、久米三十六姓とは、貿易、商売目的の中国人達が14世紀末以降、随時琉球へ渡来移住し、後に彼らの子孫によって、自分たちの先祖は洪武帝によって下賜されたという「物語」が作られたのではないかと考える説もある。
 
江戸時代初期の[[薩摩藩]]による[[琉球征伐]]では処刑された者もいる。
 
== 門中の一覧 ==
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== 関連項目 ==
* [[至聖廟]]
* [[仲井眞弘多]]
 
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