「ゼノ・ゼブロフスキー」の版間の差分

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来日後は[[長崎]]でコルベ神父らとともに、布教誌「無原罪の聖母の騎士」の出版と普及に力を入れた。ゼノ修道士は全国各地に赴き、その教えを全国に広めた。コルベ神父が離日した後も、日本に残り活動を続けたが、[[1945年]][[8月9日]]、[[長崎市]]で被爆した。戦後は戦災孤児や恵まれない人々の救援活動に尽くし、東京・浅草のバタヤ街など全国各地で「[[蟻の街]]」支援活動を始めた。口癖は「'''ゼノ死ヌヒマナイネ'''」。愛嬌のある白ひげ顔とユーモラスな人柄で、宗派を問わず多くの人に親しまれた。
 
献身的な社会福祉活動に、[[1969年]]に[[勲四等]][[瑞宝章]]、[[1979年]]に[[吉川英治文化賞]]が贈られた。またポーランドからは[[1976年]]に[[ポーランド人民功労勲章]](現在の[[ポーランド共和国功労勲章]])第4等が授与された。[[1981年]]2月来日した[[教皇]]・[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]は、ゼノ修道士の入院先を訪問し、長年の活動に敬意を表した(このとき自らもポーランド出身である教皇は、ゼノに[[ポーランド語]]で話しかけている)。[[1982年]][[4月24日]]、永眠。
 
1957年から1961年までポーランド人民共和国駐日大使を務めた[[タデウシュ・ゼブロフスキ]]はゼノの弟。