「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」の版間の差分
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1962年7月、フランスの圧力に屈したレーニエは課税を了承するが、ド・ゴールはモナコ企業にも課税しフランスに支払うように要求し、モナコとの国境を封鎖する。交渉に失敗したレーニエはグレースに八つ当たりし、女優復帰の話を断るように告げる。ショックを受けたグレースは離婚を考えるが、タッカー神父に諭され思い留まる。グレースはモナコを守るため、タッカー神父の紹介でデリエール伯爵のもとを訪れ、モナコの伝統・外交儀礼についてのレッスンを受ける。一方のレーニエは各国の外交使節をモナコに招き、モナコへの支援を呼びかけようとした。そんな中、グレースのもとに、フランスに情報を流しているのが秘書のマッジだという報告が届く。グレースはルパートにマッジを問い詰め、雇い主が誰かを突き止めようとする。
2カ月後、グレースとレーニエは和解し、各国使節を招いたサミットに臨み支援を訴えるが、サミット終了直後に発生したド・ゴール暗殺未遂事件の影響で、各国使節はモナコを離れてしまう。悲
10月9日、要人たちを招いた舞踏会の場で、グレースは人々の愛と平和への気持ちを伝えるスピーチを行い、出席者からの喝采を受ける。アメリカのマクナマラ国防長官ら出席者の反応を見たド・ゴールは、世界中がグレースを支持していることを痛感しモナコへの強硬策を撤回、翌1963年にモナコの国境封鎖を解除する。
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