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{{Infobox church
| name = 聖パトリック大聖堂 (ダブリン)
| fullname = 聖パトリックの国立大聖堂およびカレッジチャーチ
| image = DublinStPatricksCathedral.jpg
}}
[[Image:St. Patrick's Cathedral, Dublin 2.jpg|thumb|300px|より近づいた写真]]
[[ダブリン]]の'''聖パトリック大聖堂''' ({{lang-en|Saint Patrick's Cathedral}}, {{lang-ga|Árd Eaglais Naomh Pádraig}})、正式には'''聖パトリックの国立大聖堂およびカレッジチャーチ''' (The National Cathedral and Collegiate Church of Saint Patrick, Dublin) Dublin)[[1191年]]に創設された[[大聖堂]]。現在は[[アイルランド国教会]]の管轄でありダブリンに二つある[[国教会]]の大聖堂のうち大きいほうであり (もうひとつは[[クライストチャーチ大聖堂 (ダブリン)|クライストチャーチ大聖堂]]) 、[[アイルランド島]]全体でも最大の教会である。
 
珍しい例ではあるが、大聖堂であるにもかかわらず主教座がこの教会には存在せず、[[ダブリン大主教]]の主教座はクライストチャーチ大聖堂にある。そのため[[1870年]]からは聖パトリック大聖堂をアイルランド島全体のために国立大聖堂とし、聖堂参事会 (chapter) の委員はアイルランド国教会の12の主教区全体から選ばれている。また、2007年からは他教派の聖職者も参事会に加わった。教会としては[[1219年]]から置かれている首席司祭 (Dean) によって統率されており、最も有名な首席司祭は[[ジョナサン・スウィフト]]である。
 
== 歴史 ==
 
=== 中世 ===
[[Image:Stpatrickcathedral dublin.jpg|thumb|250px|大聖堂の内観]]
 
=== 1600年代 ===
 
1600年代の始めごろにはレディーチャペルはすでに荒れ果てていたといわれ、クワイヤ西端に位置していたアーチは
木摺と漆喰の仕切り壁によって切り離されてしまった。日常的な大量の訪問客もおり、大量の客に対応するためにギャラリーの一団が加えられた。
 
=== 聖パトリックの騎士 ===
 
1783年から1871年まで、大聖堂は[[聖パトリック騎士団]]のチャペルとして用いられており、メンバーは聖パトリックの騎士 (Knights of St. Patrick) であった。1871年のアイルランド国教の廃止に伴い、任命式はダブリン城の[[セントパトリックスホール]]([[:en:St. Patrick's Hall|en]])に移された。移動前の騎士紋章旗は今日でもまだ内陣聖歌隊席の上を覆っている。
 
===19世紀と修復===
[[Image:St. Patrick's Cathedral stones.jpg|thumb|200px|left|大聖堂の近くで発見されたケルト十字]]
 
1805年までに北の翼廊は廃墟と化しており、南側の翼廊も悲惨な状態であったが、より切迫した工事は足場によって支えられていた身廊の屋根におこなわれたものであった。1846年、聖パトリック大聖堂の首席司祭はクライストチャーチの首席司祭と統合され、この状態は1872年まで続いた。
 
 
== 国立大聖堂としての今日 ==
 
今日では大聖堂はいくつかの公の国家行事が行われる場所となっている。[[英国在郷軍人会連盟]] ([[:en:The Royal British Legion]]) が主催しアイルランド大統領が出席するアイルランドの[[英霊記念日]] ([[:en:Remembrance Day]]) 式典は毎年11月にここで執り行われている。また聖歌奉仕([[9つの日課と聖歌]] ([[:en:Nine Lessons and Carols|en]]) の奉仕)は毎年12月24日を含めて12月に2回祝われ、これはダブリンの生活の華麗な目玉となっている。
 
[[ダグラス・ハイド]]と[[アースキン・ハミルトン・チルダース]] ([[:en:Erskine Hamilton Childers|en]])、この2人のアイルランド大統領の葬儀はそれぞれ1949年と1974年にここで行われた。ハイド大統領の葬儀時、国教会信徒であった[[ノエル・ブラウン]]([[:en:Noel Browne|en]])を除いた時のアイルランド政府と、野党のメンバーでは同じく国教会信徒であったチルダースを除いた人たちは、教会のロビーの外に待機していた。これは、この葬儀が行われた当時において[[教皇庁]]はカトリック教徒に対して非カトリック教会に足を踏み入れることを禁じていたためである。
 
チルダースは任期中に死亡したため、彼の[[アイルランドの国葬一覧|国葬]] ([[:en:List of Irish state funerals|en]]) は大々的に行われた。参列者はベルギー国王[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン1世]]、[[アメリカ合衆国副大統領]][[スピロ・アグニュー]] (彼は[[リチャード・ニクソン|ニクソン]]大統領の代理であった)、[[ルイス・マウントバッテン]]伯爵 ([[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]]の代理)、[[イギリスの首相]][[ハロルド・ウィルソン]]とその首相である[[エドワード・ヒース]]らを含んでいた
 
2006年には亡命者保護を求める18名の[[アフガン難民]]の一団によって、彼らがトラブルを起こさずに立ち去るまでの数日間占拠された。
 
== 首席司祭と聖堂参事会 ==
 
大聖堂は首席司祭によって率いられ、聖堂参事会全体 (もともとは13人であったが30にまで増え、現在では最高で28人となっている) で統治されている。聖堂参事会の基礎、およびその規則は1191年に作られ1192年に教皇ケレスティヌス3世によって認められた設立認可状に由来している。
 
 
=== 要職、聖堂参事会員と現在の保持者 ===
 
*'''首席司祭(Dean):'''1220年から2007年、首席司祭は[[クロンダルキン]] ([[:en:Clondalkin|en]]) の聖堂参事会員 (1191年から聖堂参事会員) の座を保持し、キルベリー (Kilberry)、クロニー (Cloney。昔はClonwanwyrとして知られていた)、Tullaghgory (昔はClonardmacgoryとして知られていた)の教会、後期にはキルベリーの小教区のすべてを保有している。1228年にタラ ([[:en:Tallaght|en]]) の教会は首席司祭職に配属された。2008年12月現在の首席司祭はロバート・B・マッカーシーである。
*'''先唱者 (Precentor)''':先唱者は1191年にラスク (Lusk) の一部の参事会員を与えられていたが1218年にアルドレー (Ardree) の教会とダブリンの聖アンドリュー教会を与えられた。数回の変遷ののちラスクの一部は取り除かれた。2008年12月現在はR・C・リードが勤めている。
 
== 注 ==
 
{{reflist}}
 
== 関連項目 ==
 
*[[聖パトリック大聖堂の首席司祭]]([[:en:Deans of St. Patrick's Cathedral, Dublin]])
 
[[Category:アイルランド国教会]]
[[Category:聖公会の教会堂]]
[[Category:大聖堂]]
[[Category:ダブリンの建築物]]
[[Category:ダブリンの観光地]]
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