「林鳳潭」の版間の差分

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== 略歴 ==
父の[[林龍潭]]が早く亡くなったため、14歳で祖父・鳳谷の跡を継ぎ、幕府儒官となる。[[天明]]5年([[1785年]])[[大学頭]](だいがくのかみ)となった。天明7年([[1787年]])、27歳の若さで死去。同年、[[林錦峯]](きんぽう)が林家を継いだ。
 
== 年貢先納金騒動 ==
鳳潭の代の[[1785年]]([[天明]]5年)に、[[湯島聖堂]]領である[[武蔵国]][[久良岐郡]]多々久郷(最戸村・久保村・弘明寺村・中里村の4村で、現・[[横浜市]][[港南区]]の一部に当たる地域)に対し、[[年貢]]先納金(年貢の納期前に領民に納めさせる金で、年貢納期時に清算する。領主から領民への前借り金のようなもの)50両を命じた<ref name=toyama>[http://www19.atwiki.jp/konanrekishi?cmd=upload&act=open&pageid=1&file=%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%BE%8C%E6%9C%9F%E3%81%AE%E6%9C%80%E6%88%B8%E6%9D%91%E3%81%A7%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B%E8%AC%9B%E6%BC%94%E8%A6%81%E6%97%A8.pdf 日本史を動かした久良岐の村々 江戸時代後期 最戸村の知られざる実像 ]港南歴史協議会、陶山誠(2013/11/16) </ref>。多々久郷では、近隣の金井村から借金をして納め、翌年の年貢米で金井村に返済する予定だったが、翌年が凶作だったため、返済期限を伸ばしてもらったところ、翌々年、領主の林家が先納金の清算を無視して年貢の全納を命じたことから金井村への返却が不可能となったため、金井村は幕府評定所に多々久郷を訴えるとともに、多々久郷と協議して林家への年貢米送付を阻止した<ref name=toyama/>。
 
聖堂領からの年貢は、湯島聖堂の[[孔子]]像を祀る費用として使途を限定して五代将軍[[徳川綱吉]]が林家に与えたもので、流用は禁じられていたが、この金井村の訴訟によって、林家が財政的困窮から聖堂領の年貢を家計へ流用していたことが発覚し、これをきっかけに、幕府による林家の粛正と聖堂の学制改革が始まり、のちの[[寛政異学の禁]]、湯島聖堂の「[[昌平坂学問所]]」への改編、聖堂領の「学問所領」変更などに繋がった<ref name=toyama/>。
 
== 関連項目 ==
{{林家|1774年-1787年|林氏|第6代}}
{{Japanese-history-stub}}
== 脚注 ==
 
{{DEFAULTSORT:はやし ほうたん}}
[[Category:江戸幕府旗本]]