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日高見国を除く。時代が離れすぎ。
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日高見国を除く。時代が離れすぎ。
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|参照方法 = 2013年2月27日
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'''アテルイ'''(? - [[延暦]]21年[[8月13日 (旧暦)|8月13日]]([[802年]][[9月17日]]))は、[[平安時代]]初期の[[蝦夷]]の軍事指導者。[[789年]](延暦8年)に[[日高見国]][[胆沢]](現在の[[岩手県]][[奥州市]])に侵攻した[[朝廷]]軍を撃退したが、[[坂上田村麻呂]]に敗れて降伏し、処刑された。
 
史料には「'''阿弖流爲'''」「'''阿弖利爲'''」とあり、それぞれ「あてるい」「あてりい」と読まれる。いずれが正しいか不明だが、現代には通常アテルイと呼ばれる。坂上田村麻呂伝説に現れる[[悪路王]]をアテルイだとする説もある。フルネームは大墓公阿弖利爲(たものきみあてりい)<ref>伊藤博幸「エミシの世界」56ページ</ref><ref>細井計他著 山川出版社 2002年</ref>。
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