「ウォレン・ハーディング」の版間の差分

==任期中の死==
[[ファイル:HardingFuneral.jpg|250px|サムネイル|ホワイトハウスを発つハーディングの葬列]]
1923年6月、ハーディングは全国遊説「理解の航海''Voyage of Understanding''」に出発した。この旅行中で、彼は[[アラスカ]]を訪れる初の大統領となった。このときすでにワシントンでは彼の政権におけるスキャンダルの噂が広がり始めていた。アラスカでハーディングは、自らの知らなかった不法行為が詳述された長い報告書を受け取り衝撃を受けることとなる。7月末、アラスカ南部からの帰途、カナダの[[ブリティッシュコロンビア州]]を旅行通過している間に、彼は重い食中毒となりシアトルで心機能不全で倒れた。[[サンフランシスコ]]のパレス・ホテルに着くと彼は肺炎を発症し、1923年8月2日の午後7:35に痙攣を発し死去した。医師団は臓発作隔壁破裂あるいは[[脳梗塞]]により死去と診断ている。{{没年齢|1865|11|2|1923|8|2}}。同日発行された[[ニューヨーク・タイムズ]]では「死因は[[脳梗塞]]である」と報じられた。彼は約一週間を病床にあった。
 
==個人的醜聞と主張==
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