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{{Otheruseslist|コンクリートやモルタルの材料|その他用法|セメント (曖昧さ回避)}}
[[File:Firestop mortar mixing.jpg|thumb|280 px|セメントを投入、混合攪拌する様子]]
'''セメント''' (Cement) とは、一般的には、[[水]]や液剤などにより[[溶媒和|水和]]や[[重合]]し[[硬化]]する[[粉|粉体]]を指す。広義には、[[アスファルト]]、[[ゼラチン|膠]]、[[樹脂]]、[[石膏]]、[[石灰]]等や、これらを組み合わせた[[接着剤]]全般を指す。
 
本項では、[[モルタル]]や[[コンクリート]]として使用される、[[ポルトランドセメント]]や混合セメントなどの水硬性セメント(狭義の「セメント」)について記述する。
 
== 歴史 ==
セメントの利用は古く、[[古代エジプト]]の[[ピラミッド]]にも[[モルタル]]として使用されたセメント(気硬性セメント)が残っている。[[水酸化カルシウム]]と[[ポゾラン]]を混合すると水硬性を有するようになることが[[発見]]されたのがいつごろなのかは不明だが、[[古代ギリシア]]や[[古代ローマ]]の時代になると、[[凝灰岩]]の分解物を添加した水硬性セメントが[[水中]][[工事]]や[[道路]]工事などに用いられるようになった<ref> Hill, Donald: ''A History of Engineering in Classical and Medieval Times'', Routledge 1984, p106</ref>。そういった時代には[[自然]]に産出するポゾラン(火山土や[[軽石]])や[[人工]]ポゾラン([[焼成]]した[[粘土]][[陶器]]片など)を使っていた。[[ローマ]]の[[パンテオン (ローマ)|パンテオン]]や[[カラカラ浴場]]など、現存する古代ローマの建物にもそのような[[コンクリート]]([[ローマン・コンクリート]])が使われている<ref>[http://web.archive.org/web/20061018162743/http://www.chamorro.com/community/pagan/Azmar_Natural_Pozzolan.pdf PURE NATURAL POZZOLAN CEMENT]</ref>。[[ローマ水道]]にも水硬性セメントが多用されている<ref>[http://www.yale.edu/ynhti/curriculum/units/2006/4/06.04.04.x.html Aqueduct Architecture: Moving Water to the Masses in Ancient Rome]</ref>。ところが、[[中世]]になると[[ヨーロッパ]]では水硬性セメントによるコンクリートが使われなくなり、[[材|石]][[]]や石[[]][[]]を埋めるのに弱いセメントが使われる程度になった。
 
[[現代]]的な水硬性セメントは、[[産業革命]]と共に[[開発]]され始めた。これには以下の3つの必要性が影響している。
* [[]]の多い[[季節]][[建物]]の表面仕上げをするのに水硬性の[[漆喰]]が必要とされた。
* [[海水]]にさらされるような築[[]]工事などで水硬性の[[モルタル]]が必要とされた。
* より強い[[コンクリート]]の開発。
産業革命時代に急成長を遂げた[[グレートブリテン王国|イギリス]]では、[[建築]]用のよい石材の[[価格]]が上がったため、高級な[[建物]]であっても[[煉瓦|レンガ]]造りにして表面を漆喰で塗り固めて石のように見せかけるのが一般化した。このため水硬性の石灰が重宝されたが、固まるまでの[[時間]]をより短くする必要性から新たなセメントの開発が促進された。中でもパーカーの[[ローマンセメント]]が有名である<ref>A J Francis, ''The Cement Industry 1796-1914: A History'', David & Charles, 1977, ISBN 0-7153-7386-2, Ch 2</ref> 。これは[[ジェームズ・パーカー]] ([[:en:James Parker (cement maker)|James Parker]]) が[[1780年代]][[発明し]][[1796年]][[特許]]を取得した。それは実際には古代ローマで使われていたセメントとは異なるが、[[粘土]]質の[[石灰石]]を1000 - 1100 [[セルシウス度|℃]]と推定される高温で[[焼成]]し、その塊を粉砕して粉末としたセメントであり、[[天然]][[原料]]をそのまま使っていた。これを[[]]と混ぜたものがモルタルとなり、5分から15分で固まった。このローマンセメントの成功を受けて、粘土と石灰を人工的に配合して焼成してセメントを作ろうとする者が何人も現れた。
 
[[イギリス海峡]]の三代目[[エディストン灯台]]の建設(1755年 - 1759年)では、[[潮汐|満潮]]と満潮の間の12時間で素早く固まる上に、ある程度の[[強度]]を発揮する水硬性モルタルを必要とされた。この時[[土木工学]]者の[[ジョン・スミートン]]は[[生産]]現場にも出向き、入手可能な水硬性石灰の[[調査]]を徹底的に行ったことで石灰の「水硬性」は原料の石灰岩に含まれる粘土成分の比率と直接関係していることに気づいた。しかし[[土木工学]]者のスミートンはこの発見をさらに[[研究]]することはなかった。この[[原理]][[19世紀]]に入って[[ルイ・ヴィカー]]により再発見されたが、明らかに彼はスミートンの業績を知らなかったと思われる。[[1817年]]、ヴィカーは石灰と粘土を混合し、それを焼成して「人工セメント」を生産した。[[ジェームズ・フロスト (セメント製造)|ジェームズ・フロスト]]<ref>Francis ''op. cit.'', Ch 5</ref>はイギリスで「ブリティッシュセメント」と呼ばれるほぼ同じ製法のセメントを同時期に開発したが、特許を取得したのは[[1822年]]だった。[[1824年]]、イギリス・[[リーズ]]の[[煉瓦]]積職人[[ジョセフ・アスプディン]]が同様の製法について特許を取得し、これを「ポルトランドセメント」と称した。このポルトランドセメントは今日のセメントの主流であり、単にセメントと言った場合この[[ポルトランドセメント]]を指すことが多い。[[ポルトランドセメント]]のスペルは、Portland cementであり、アスプディンはイギリス人であり、イングランドのポートランド島特産の石灰石の[[色調]]ていたことから、Portland cementと命名された。
 
これらの[[製品]]は石灰とポゾランによるコンクリートに比べると、固まる時間がすぎ([[施工]]可能な時間が不十分)固まった直後の強度が不十分だった([[型枠]]を外すのに数週間かかる)。天然セメントも人工セメントも、その強度は含有する[[ビーライト]](Ca<sub>2</sub>SiO<sub>4</sub>)の比率に依存する。ビーライトによる強度は徐々に高まっていく。1250℃1,250 ℃ 以下で焼成されているため、現代のセメントで素早く強度を発揮する[[エーライト]](Ca<sub>3</sub>SiO<sub>5</sub>)を含んでいない。エーライトを常に含有するセメントを初めて製造したのは、ジョセフ・アスプディンの[[息子]][[ウィリアム・アスプディン]]で、[[1840年代]]のことである。こちらが今日も使われているポルトランドセメントと同じものである。ウィリアム・アスプディンの製法には謎があったため、ヴィカーや[[アイザック・チャールズ・ジョンソン|I・C・ジョンソン]]が発明者だとされていたが、ウィリアムが[[ケント (イングランド)|ケント]]のノースフリートで作ったコンクリートやセメントに関する最近の[[調査]]<ref>P. C. Hewlett (Ed)''Lea's Chemistry of Cement and Concrete: 4th Ed,'' Arnold, 1998, ISBN 0-340-56589-6, Chapter 1</ref>で、エーライトをベースとしたセメントであることが判明した。しかしウィリアム・アスプディンの製法は「大雑把」なもので、現代的セメントの[[化学]]的基盤を確立したのはヴィカーと言っていい。またジョンソンは、混合物を[[]]の中で焼成することの重要性を確立した。
 
ウィリアム・アスプディンの行った改良による製法では([[]]が集めるのに苦労していた)石灰をより多く必要とし、窯の温度もより高くする必要があり(そのため[[燃料]]も多く[[消費]]する)、出来上がった[[クリンカー]]は硬すぎて石[[]]がすぐに磨り減ってしまうという問題があった(当時、クリンカーを粉にする方法は石臼しかなかった)。このため製造[[費用|コスト]]がかなり高くなったが、その製品は適度にゆっくり硬くなり、固まると即座に強度を発揮するもので、製造過程にデメリットがたくさんあっても用途が格段に広がった。[[1850年]]代以降、コンクリートが建築にどんどん使われるようになり、セメントの用途のほとんどを占めるようになった。
 
日本では、幕末の頃に高価なフランス製の[[ポルトランドセメント]]を輸入したのが最初とされる。
[[1875年]]([[明治]]8年)、日本で最初の[[官営模範工場|官営]]セメント会社である[[深川セメント製造所]]にて、当時の[[工部省]]技術官[[宇都宮三郎]]がポルトランドセメントの製造に成功した。その後、[[1884年]]にこの工場は民間に払い下げとなり、[[日本セメント]](現在の[[太平洋セメント]])となった。また、[[1881年]]には山口県[[小野田市]]に、民営セメント工場として最初のセメント製造会社[[小野田セメント]](現在の[[太平洋セメント]])が誕生した。当時の生産高は両工場で月産約230t程度であった。
 
== 種類 ==
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=== 混合セメント ===
; {{Visible anchor|高炉セメント}}
: [[製鉄所]]の[[銑鉄]]製造[[工程]]である[[高炉]]から生成する[[副産物]]である[[スラグ|高炉スラグ]]の微粉末とポルトランドセメントを混合したセメントである。セメントの[[溶媒和|水和反応]]で発生した[[水酸化カルシウム]]などの[[アルカリ性]]物質や[[石膏]]などの刺激により[[水和]]・硬化する性質がある。初期強度は普通ポルトランドセメントよりも低いが、この性質により長期にわたって強度が増進し、長期強度は普通ポルトランドセメントを上回る場合もある。[[海水]]や[[化学物質]]に対する抵抗性に優れ、[[港湾]]や[[ダム]]などの大型[[土木事業|土木工事]]に使用される。
: [[日本工業規格|JIS]]では JIS R 5211 で規定され、高炉スラグの分量により A種 (5 - 30 %)、B種 (30 - 60 %)、C種 (60% - 70 %) に分類される。
: [[ドイツ]]では[[20世紀]]の初頭から製造され、日本では[[八幡製鐵所]]で[[1913年]](大正2年)に製造されたのが始まりである。
; {{Visible anchor|シリカセメント}}
: 二酸化珪素(シリカ)を60 % 以上含む天然のシリカ質混合材とポルトランドセメントを混合したセメントである。耐薬品性を要する化学工場に使用される。JISでは JIS R 5212 で規定されている。現在ではほとんど生産されていない。
; {{Visible anchor|フライアッシュセメント}}
: [[フライアッシュ]]([[火力発電所]]で発生する[[石炭]]の[[灰|焼却灰]])とポルトランドセメントを混合したセメントである。球形のフライアッシュを混合するため、このセメントを使用するコンクリートは流動性が改善されワーカビリティに優れる。また、フライアッシュに含まれる[[二酸化ケイ素]]が水和反応によって生じた水酸化カルシウムと反応(ポゾラン反応)し、緻密で耐久性に優れた[[ケイ酸カルシウム]]の[[水和物]]を発生させる。そのため水密性があり、港湾やダムなど水密性が要求される構造物で使用される。
: JISでは JIS R 5213 で規定され、フライアッシュの分量により A種 (5-10%)、B種 (10-20%)、C種 (20-30%) に分類される。
: 日本では[[宇部興産]]で1956年(昭和31年)に製造されたのが始まりである。
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== 安全性 ==
セメントは、水と[[化学反応|反応]]すると[[水酸化カルシウム]]を発生させ、強い[[アルカリ性]]を示す性質がある。そのため、[[目]]や[[鼻]]、[[皮膚]]に対して刺激性、[[溶解]]性があり、硬化前のセメントが付着した状態が続くと目の[[角膜]]や鼻の[[粘膜]]、皮膚に[[炎症]]や[[出血]]が起る可能性がある(セメント[[皮膚炎]])。完全に硬化した後のセメント(モルタル・コンクリート)の場合は水酸化カルシウムは[[二酸化炭素]]と反応し[[中性 (酸塩基)|中性]]の[[炭酸カルシウム]]となっているので、炎症を引き起こす可能性は多くの場合ない。
 
セメントの[[粉塵]]は平均粒径が10 [[マイクロメートル|μm]] 程度の微粉末であるため発塵性があり、多量のセメントを吸引すると[[塵肺]]になる可能性がある。また、セメントは高温で焼く製造過程で、原料中の三価クロムが[[六価クロム]]に変化し、微量にこれを含んでいる。
 
== セメント産業 ==