「オーストリア公国」の版間の差分

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* [[1156年]]、[[ハインリヒ2世 (オーストリア公)|ハインリヒ2世]]がオーストリア公となる。
* [[1251年]]、プシェミスル朝の[[ボヘミア王]][[オタカル2世]]が[[バーベンベルク家]]の[[マルガレーテ・フォン・バーベンベルク|マルガレーテ]]と結婚して、オーストリア公を継承する。
* [[1278年]]、神聖ローマ皇帝[[ドイツ王]][[ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ1世]]が[[マルヒフェルトの戦い]]でオタカル2世を敗死させ、オーストリア公国を獲得。ハプスブルク家によるオーストリア統治が始まる。
* [[1335年]]、[[アルブレヒト2世 (オーストリア公)|アルブレヒト2世]]と[[オットー (オーストリア公)|オットー]]が[[ケルンテン公国]]を相続する。
* [[1359年]]、[[ルドルフ4世 (オーストリア公)|ルドルフ4世]]がオーストリア大公を称する。
* [[1363年]]、ルドルフ4世が[[チロル]]伯領を獲得する。
* [[1386年]]、[[レオポルト3世 (オーストリア公)|レオポルト3世]]がゼンパッハの戦いで戦死、スイスのハプスブルク家旧領を完全に失う。
* [[1438年]]、[[アルブレヒト2世 (神聖ローマ皇帝)|アルブレヒト2世]](オーストリア公としてはアルブレヒト5世)が皇帝ドイツ王に即位し、ハプスブルク家による神聖ローマ国君主位の世襲が始まる。
* [[1457年]]、神聖ローマ皇帝[[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ3世]](オーストリア公としてはフリードリヒ5世)がオーストリア大公の称号を正式のものとする。