「陸軍総司令部 (ドイツ)」の版間の差分

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陸軍総司令部は、1939年の開戦直前に完成した[[ベルリン]]郊外のビュンスドルフ ([[:de:Wünsdorf|Wünsdorf]]) に設けられた[[防空壕|地下ブンカー]]施設に移された。当時から既に[[防空]]意識が高く、すべてが地下に構築され、地上は長閑な農村風景が演出されていた。秘匿名称は '''Maybach I''' である。国防軍最高司令部のそれは '''Maybach II''' と呼ばれていた。1940年4月20日からは2個指揮通信連隊が追加されて陸軍総司令部と軍集団司令部、軍司令部との長距離通信網を充実させた。共用の長距離指揮通信施設('''Zeppelin'''、あるいは'''Amt 500''')である。戦後も[[ドイツ駐留ソ連軍|駐留ソ連軍]]司令部が1990年の[[ドイツ再統一]]まで利用した。現在、ブンカー跡を見学することが出来る。
 
ベルリン市内のベンドラー街 ([[:de:Bendlerblock|de]]) に残された国防省ビルには[[国内予備軍]]司令部ほかが入っていた。ここは1944年7月20日における[[ヒトラー暗殺計画7月20日事件|ヒトラー暗殺未遂事件]]の舞台となった。
 
== 陸軍総司令官 (Oberbefehlshaber des Heeres,略号:OBdH) ==