「佐藤道郎」の版間の差分

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'''佐藤 道郎'''(さとう みちお、[[1947年]][[5月5日]] - )は、[[日本]][[東京都]][[中野区]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])・[[野球解説者|解説者]]・[[野球評論家|評論家]]・指導者・[[プロ野球監督|監督]]。愛称は「samy」。あるいは「ミチ」「ミチさん」。
 
== 来歴・人物 ==
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佐藤の持論として現在でも投手に説くのは、緩急の重要性で、「2ストライク目までは間を取らずに早く投げたり、速球と緩急を組み合わせるようなピッチングで、3ストライク目は自分の目一杯の球で」という指導を展開。例えとして「最初の2人は美人じゃなくても、3人目が美人だとあっと驚くだろう」というユニークな教え方をした。また、近鉄コーチ時代には、ある試合で[[野茂英雄]]が先発を回避した事があり、佐藤は当時リリーフ専門だった[[吉井理人]]を先発として推薦。監督の[[鈴木啓示]](当時)は大反対したが<ref name="吉井理人 [野球評論家]が語る真の野球人へと導いてくれた指導者たち">、[[週刊ベースボール]]、2013年5月20日号、P21</ref>、低迷していた吉井を復活させるきっかけになればと吉井を推薦したという<ref name="吉井理人 [野球評論家]が語る真の野球人へと導いてくれた指導者たち"/>。結果は3年ぶりの先発(1993年6月17日の西武戦)だったが、見事完封勝利を飾った。後年、吉井自身も「先発投手になるきっかけになった試合だった」と語っている<ref name="吉井理人 [野球評論家]が語る真の野球人へと導いてくれた指導者たち"/>。
[[2004年]]からは[[落合博満]]監督の強い要望により[[中日ドラゴンズ (ファーム)|中日二軍]]監督に就任し、2004年[[ウエスタン・リーグ]]優勝及び、ファーム日本一に導き[[2006年]]まで務めた。
「耳からタバコの煙を出す」という特技を持っているが、これは大学時代に先輩に手酷く殴られて[[鼓膜]]が破れたのをそのままにしてしまったためであるという<ref>近藤唯之 『引退 そのドラマ』 新潮社(新潮文庫)、1986年、65頁。</ref>。[[大相撲]]の元[[横綱]]・[[輪島大士]]は大学時代の同期であり、当時から親交があった。
 
夫人は、元タレント[[仲根かすみ]]の実母。仲根は[[2005年]][[12月10日]]、[[福岡ソフトバンクホークス]][[投手]]・[[和田毅]]と結婚した(なお前夫人は遠縁ながら[[上岡龍太郎]]と姻戚関係にあたる女性だった)。