「ケビン・カレン」の版間の差分

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m ヨハン・クリークの名前を直す。ウィキにしかない、私のミス
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'''ケビン・カレン'''('''Kevin Curren''', [[1958年]][[3月2日]] - )は、[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]・[[ダーバン]]出身の男子プロ[[テニス]]選手。[[1984年]]の[[全豪オープン]]と[[1985年]]の[[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]で、[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]に2度の準優勝がある。自己最高ランキングはシングルス5位、ダブルス3位。ATPツアーでシングルス5勝、ダブルス26勝を挙げた。身長185cm、体重77kg、右利き。
 
[[1979年]]にプロ入り。[[1981年]]に地元[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]・[[ヨハネスブルグ]]の大会でツアー初優勝を果たす。[[1984年]]の[[全豪オープン]]で、カレンは[[マッツ・ビランデル]]との決勝戦まで勝ち上がった。当時の全豪オープンは、年末の12月に開催されていた。同大会では[[1981年]]と[[1982年]]に、南アフリカ出身のテニス選手として[[ヨハン・クリエック]](年齢もカレンと同じ年)が大会2連覇を果たしていた。カレンはクリエックに続く快挙を狙ったが、ビランデルに 7-6, 4-6, 6-7, 2-6 で敗れ、この[[スウェーデン]]人選手の大会2連覇を阻止できなかった。
 
カレンの名前が最も記憶されている場面は、何と言っても[[1985年]]の[[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]男子シングルス決勝戦である。大会第8シードだったカレンは、上位シード選手を立て続けに破って勝ち進み、まず4回戦で[[ステファン・エドベリ]]、準々決勝では第1シードの[[ジョン・マッケンロー]]、そして準決勝ではベテランの[[ジミー・コナーズ]]を破って自身2度目の4大大会決勝進出を果たした。その決勝戦では、世界ランキング38位のノーシードから勝ち上がった[[ドイツ|西ドイツ]]の[[ボリス・ベッカー]]と対戦することになった。ところが、カレンはこの試合でベッカーの勢いに飲み込まれてしまい、3-6, 7-6, 6-7, 4-6 のスコアで敗れてしまった。勝者となったベッカーは「17歳7ヶ月」の大会最年少優勝記録を樹立し、それを契機に西ドイツのスーパースターとなる。カレンはベッカーの出発点を見守る役に回ってしまい、とうとう4大大会の男子シングルスで優勝できずに終わった。
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カレンの最後の4大大会出場は[[1992年]]の[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]で、7年前に苦杯をなめたベッカーに1回戦で敗退している。[[1993年]]3月に出身地の南アフリカ・ダーバンの大会での初戦敗退を最後に、カレンは35歳で現役を退いた。
 
最近のカレンは、同じ年のライバルであった[[ヨハン・クリエック]]とダブルスでペアを組み、[[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]の「45歳以上の選手による男子ダブルス」部門で3連覇を果たしている。
== 関連項目 ==
* [[テニス]]