メインメニューを開く

差分

m
[[1876年]]より楫取素彦は群馬県令となるが、その妻であり文の実姉である寿は中風症に罹っていたため、文がしばしば楫取家に出入りし素彦の身辺の世話や寿の看病、家政全般を取り仕切っていた。
 
[[1881年]]([[明治]]14年)1月30日、次姉の寿が[[胸膜炎]]を併発し43歳で死去。2年後の[[1883年]](明治16年)、文は楫取素彦(小田村伊之助)と再婚するが、これには素彦の身辺と二人の孫の行く末を案じた母・瀧子の勧めがあった<ref>木俣秋水『吉田松陰をめぐる女性たち』159頁</ref>。
 
晩年は[[山口県]][[防府市]]で過ごし、[[1921年]]([[大正]]10年)に79歳でこの世を去った。
29,293

回編集