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歴史と文化整理
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また妊娠中や乳幼児の摂食に対して安全性の確認されていない物も多い。
 
[[ヒヨス]]のように、[[向精神薬]]作用のあるものもある。規制を逃れたものが[[脱法ハーブ]]、[[危険ドラッグ]]と呼ばれ、近年使用者の犯罪行為などがあり、問題視されている。また、ハーブという言葉が、[[大麻]]を指す[[隠語]]として使われることもある{{要出典|date=2014年12月}}
 
== 歴史と文化 ==
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その歴史は古く、ヨーロッパでは[[キリスト教]]発祥以前から使われており、ヨーロッパのキリスト教以前の宗教との繋がりが深いと思われる{{要出典|date=2014年11月}}。[[古代エジプト]]では[[イチジク]]・[[ブドウ]]と合せて[[ヤグルマギク]]や[[ケシ]]の仲間が栽培された薬草園があった{{要出典|date=2014年11月}}。
 
ヨーロッパでは、古代ギリシャの[[ディオスコリデス]]がまとめた本草書『薬物誌』が1500年以上権威として利用され、[[教会]]の薬草園などでハーブが栽培された。『薬物誌』は[[アラビア]]に伝わって[[ユナニ医学]](ギリシャ・アラビア医学)に影響を与え、その研究成果はヨーロッパの医学に取りいれられた。民間では、各地方に伝わるハーブが治療に利用された。
ヨーロッパ中世を襲った[[ペスト]](黒死病)の蔓延を救ったのも、ハーブの知識とされる{{要出典|date=2014年11月}}。[[セージ]]や[[マジョラム]]、[[ローズマリー]]などを酢に漬けておいたものを飲んだり、身体につけるとペストの感染を防ぐとされた。現代の研究で、これらのハーブは抗酸化性が強く、[[免疫]]力を高めることが分かっている{{要出典|date=2014年11月}}。
 
[[フランク王国]]の[[カール大帝]](742年 - 814年)はハーブの知識が豊富でありを愛好しハーブを「医学の友にして料理人の称賛の的」と喩えたという<ref>マーガレット・B. フリーマン 著 『西洋中世ハーブ事典』 遠山茂樹 訳、八坂書房、2009年 25項</ref>。
 
西洋中世に何度も大流行した[[ペスト]](黒死病)の際にも、ペスト除けに利用された(ただし、流行を終わらせるほどの決定的な効果はなかった)。ハーブやスパイス、果実などの成分を溶かし込んだリキュールは薬として利用され、14世紀イタリアでは、リキュール(リクォーリ)が薬用として輸出された記録が残っており<ref>[http://www.suntory.co.jp/wnb/guide/liqueur/01/02.html リキュール入門 1.リキュールとは 語源]サントリー</ref>、1346年に始まるヨーロッパでの[[ペスト]]大流行の際には、貴重な薬品として扱われた<ref>[http://www.suntory.co.jp/wnb/guide/liqueur/01/03.html リキュール入門 1.リキュールとは 歴史]サントリー</ref>。ローズマリーをアルコールと共に蒸留した蒸留酒・ローズマリー水([[ハンガリーウォーター]])は、最初薬用酒として、のちに[[香水]]として利用された<ref> ヨハン・ベックマン 著 『西洋事物起源(二)』 特許庁内技術史研究会 訳、岩波書店、1999年</ref>。17世紀南フランスの[[トゥールーズ]]でペストが大流行した際、死亡した人々から盗みを働いた泥棒たちがいたが、彼らは感染しなかった。[[セージ]]、[[タイム]]、ローズマリー、[[ラベンダー]]などを酢に浸して作った薬を塗って感染を防いだといい、このお酢は「{{仮リンク|4人の泥棒の酢|en|Four Thieves Vinegar}}」と呼ばれ利用された<ref>永岡治 著 『クレオパトラも愛したハーブの物語 魅惑の香草と人間の5000年』 PHP研究所、1988年</ref>。また、[[錬金術]]の影響を受けた西洋の伝統医学では、アラビアから伝わった[[蒸留]]技術を洗練させ、ハーブなどの植物から[[精油]]を抽出し、薬として利用した<ref>ヒロ・ヒライ 著 『エリクシルから第五精髄、そしてアルカナへ: 蒸留術とルネサンス錬金術』 Kindle、2014年(初出:「アロマトピア 第53号」 2002年)</ref>。ヨーロッパでは病気の原因は[[ミアスマ]](瘴気、悪い空気)であると考えられていたため、空気を清めるために病人のいる所や病院で香りの強いハーブが焚かれた。イギリスでは、監獄熱の感染予防に法廷にローズマリーが持ち込まれた<ref name="ハットフィールド"></ref>。
 
ハーブの知識は、[[ローマ]]から距離的に離れなおかつ[[カトリック教会]]の影響の少ない[[イギリス]]に残った{{要出典|date=2014年11月}}。現在もイギリスには、[[ハーブガーデン]]が多く存在する。
イギリス人が[[北アメリカ]]に移住したため、ハーブとその知識が伝わった<ref>ジョージ・ウルダング 著 『薬学・薬局の社会活動史』、清水藤太郎 訳、南山堂、1973年</ref>。<!--
さらにハーブの歴史は様々な製品の語源からもあらわれる。一例をあげるならばソープ(石鹸)の語源は、ハーブの1種、ソープワート(''Saponaria officinalis'' ナデシコ科)。全草からとれるサポニンを煮出して使用していたことから名づけられた。また、フランス語のサボン(savon)もソープワート(サボン草)からでシャボン玉のシャボンにもつながっている。-->
 
[[カール大帝]]はハーブの知識が豊富であり、ハーブを「医学の友にして料理人の称賛の的」と喩えたという<ref>マーガレット・B. フリーマン 著 『西洋中世ハーブ事典』 遠山茂樹 訳、八坂書房、2009年 25項</ref>。
 
== 分類 ==
{{出典の明記|date=2014年11月|section=1}}