「ブラック・ジャック」の版間の差分

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== 連載の推移 ==
[[1960年代]]終盤の劇画ブームや『[[週刊少年ジャンプ]]』の新人発掘路線の影響をまともにうけた[[手塚治虫]]は、ヒューマニズムを描く古い漫画家というレッテルが貼られ、得意にしていた少年漫画の分野でヒット作品を出せなくなっていた。手塚本人が言う「冬の時代」(1968年-1973年)であり、少年誌での連載が激減し、読み切りが増加。少年誌において実験作を執筆したり、青年誌に進出するなどして方向性を模索するが、1970年には青少年向けの性教育を意図して執筆した『[[やけっぱちのマリア]]』が糾弾を受け、1973年には[[虫プロ商事]]と[[虫プロダクション]]が倒産し、まさにどん底にいた。
 
そんな中『[[週刊少年チャンピオン]]』編集部は、手塚に漫画家生活30周年記念作品(ただし、1973年当時手塚はデビュー28年目である)として「かつての手塚漫画のキャラクターが全部出る作品」の企画を依頼する。編集部内で『週刊少年チャンピオン』編集長の[[壁村耐三]]が担当編集者の岡本三司に「死に水をとろうか」と相談をもちかけた<!--文庫のあとがき 何巻か忘れた-->くらいの状況に追い込まれていた手塚はこれを了承する。手塚は以前に『[[鉄腕アトム]]』「ひょうたんなまず危機一発」(1965年)において同様のスターシステムでのオールスターを執筆していた。