「バクトリア語」の版間の差分

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|author=N. Sims-Williams|chapter=Bactrian Language|title=Encyclopaedia Iranica|year=1988|url=http://www.iranicaonline.org/articles/bactrian-language}}</ref>。
 
紀元前4世紀の[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]以来、数百年にわたってバクトリア地方ではギリシア人の支配が続いたが、その紀元前2世紀[[サカ]]や半になると[[月氏]]などが侵入した。クシャーナ朝でははじめ[[ギリシア語]]を公用語としていたが、[[カニシカ1世]]のときにバクトリア語を公用語に改めた<ref name="iranica"/>。文字としてはひきつづき[[ギリシア文字]]を使用したため、バクトリア語はイラン語派中唯一[[ギリシア文字]]で筆記される言語になった。
 
クシャーナ朝勢力拡大にともなが広かたため、バクトリア語の話し手分布も[[インド北部]]から[[中央アジア]]の[[トゥルファン]]に至る地域まで及んだ使用された
 
クシャーナ朝が[[エフタル]]の侵入で滅亡した後もバクトリア語は使われつづけたが、7世紀の[[アラブ人]]の侵入を経て絶滅した。
 
== 資料 ==
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== 文字 ==
バクトリア語はギリシア文字で書かれるが、ギリシア語にない {{IPA|ʃ}} の音を表すための文字 {{unicode|[[Ϸ]]}} が追加されているため25文字になっている。[[玄奘]]は貨邏国(トハリスタン)で25文字から構成され、左から右に読む25文字からなる文字を使っていると書いているが、バクトリア語の文字を指していると考えられる<ref>『[[大唐西域記]]』巻一「出鉄門、至貨邏国。(中略)字源二十五言、転而相生、用之備物書以横読、自左向右文記漸多、逾広窣利。」</ref>。
 
碑文の文字は通常のギリシア文字で書かれるが、文書や後期の貨幣では草書体のギリシア文字が使われ、むのが困難である。
 
ギリシア文字のほかに{{仮リンク|マニ文字|en|Manichaean alphabet}}でバクトリア語を書いた文書がひとつ知られている<ref name="iranica"/>。複数の文字体系で書かれているため、バクトリア語の音韻はほかの中期イラン語にくらべて詳しくわかっている。
 
== 他言語との近縁関係 ==
音韻からみバクトリア語は、大別すると東イラン語に属し、[[パシュトー語]]・[[ソグド語]]などと近縁関係にあるとみられている。
 
==脚注==