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ライアル・ワトソンは[[ヨハネスブルグ]]で生まれ、マルコム・ライアル・ワトソンと名付けられた。幼少時より周囲の自然界に関心を抱き、[[ズールー人]]の老人に教えを受けた。[[ケープタウン]]の高校を1955年に卒業し、翌1956年にウィットウォーターズランド大学に入学、[[植物学]]と[[動物学]]を修めた後、[[レイモンド・ダート]]に弟子入りし[[古生物学]]を学んだ。この経験がきっかけとなり、[[ドイツ]]や[[オランダ]]で人類学の研究に従事。後に[[地質学]]、[[化学]]、[[海洋生物学]]、[[環境学]]、[[人類学]]などにおいても学位を取得した。ワトソンは[[ロンドン大学]]で、[[デズモンド・モリス]]に師事し、[[動物行動学]]において博士号を取得している。また、BBC([[英国放送協会]])で自然ドキュメンタリーのライター、プロデューサーとしても働いた。この時期に、名前をライアル・ワトソンに短縮した。上記のほか、[[ヨハネスブルグ動物園]]の園長や、様々な地域への探検隊長、[[国際捕鯨委員会]]の[[セーシェル]]担当コミッショナーなどの職歴がある。1980年代後半には英国のチャンネル4で、[[大相撲]][[ロンドン]]場所のプロデュース・解説を務めた。
 
3回の結婚歴がある。最初の2回の結婚は離婚に終わり、3人目の妻は2003年に逝去死亡した。
3人兄弟の長男で、弟の一人アンドリューは[[オーストラリア]]、[[クイーンズランド州]]在住。ワトソンはこのアンドリューを訪問中、2008年6月25日に逝去死亡した。
ワトソン逝去を受け、『[[ニューヨーク・タイムズ]]』紙は2008年7月21日付でワトソンを「独自の道を歩んだ博学の士」と評する[http://www.nytimes.com/2008/07/21/science/21watson.html?pagewanted=all 記事]を掲載している。