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猿橋については、7世紀に[[渡来人]]の[[路子工#山梨県猿橋との関連|志羅呼]]が猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られたと言う伝説がある。
 
[[鎌倉時代]]には既に存在していたらしいが、その起源ははっきりとしていない。古くは吊り橋だったとする推測もあり、刎橋になった時期は不明である。『[[勝山記]]』に拠れば、戦国期の永正17年3月には郡内領主の[[小山田信有 (越中守)|小山田信有]](越中守)が猿橋に架橋を行っておりいる。この猿橋橋架は、小山田氏の都留郡北部への支配が確認及んだ証拠とも評価されている。
 
[[1676年]]([[延宝]]4年)以降に橋の架け替えの記録が残り、少なくとも[[1756年]]([[宝暦]]6年)からは類似した形式の刎橋である。