「宮崎輝」の版間の差分

m (→‎来歴・人物: リンク修正)
[[長崎県]][[南高来郡]]山田村(現・[[雲仙市]][[吾妻町 (長崎県)|吾妻町]])出身。[[長崎県立島原高等学校|長崎県立島原中学校]]、[[第五高等学校 (旧制)|第五高等学校]]を経て[[東京大学|東京帝国大学]]法学部英法科卒業。旭ベンベルグ絹糸(後の旭化成工業、現・[[旭化成]])に入社。
 
同社で総務課長、東京事務所長、常務取締役、専務取締役を経て[[1961年]](昭和36年)7月に[[片岡武修]]の病気により旭化成工業代表取締役社長に就任。その間、[[日米繊維交渉]]では[[日本化学繊維協会]]会長として業界側代表として[[楠岡豪]]ら[[経済産業省|通産省]]の現場らと連携。[[1985年]](昭和60年)6月、死去まで同社代表取締役会長。この間、[[1981年]](昭和56年)から[[1983年]](昭和58年)まで[[第二次臨時行政調査会]]委員を務めた。1992年(平成4年)4月17日、国内出張中に急逝。[[享年]]82。[[従三位]][[勲一等]][[瑞宝章]]。吾妻町名誉町民及び[[延岡市]]名誉市民。
 
宮崎の死去後、会長職は[[山口信夫]]が引き継いだ。
5,247

回編集