「津幡町」の版間の差分

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古代から[[北陸道]]の[[能登国]]への分岐点として宿場町が栄えた。倶利伽羅峠で、[[源義仲|木曾義仲]]が「火牛の計」を用いて平家を破ったという伝説が残っている。
* [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]] - [[町村制]]施行に伴い、津幡・清水・加賀爪・庄の各村が[[日本の市町村の廃置分合|合併]]して津幡町が発足する。
* [[1954年]]([[昭和]]29年)[[3月31日]] - 津幡町、[[中条村 (石川県)|中条村]]、[[笠谷村]]、[[井上村 (石川県)|井上村]]、[[英田村 (石川県)|英田村]]が合併して、津幡町([[日本の市町村の廃置分合#合併と分割の種類|新設合併]])が発足する。
* 1954年(昭和29年)[[5月16日]] - [[羽咋郡]][[河合谷村]]を[[日本の市町村の廃置分合#合併と分割の種類|編入]]する。
* 1954年(昭和29年)[[10月1日]] - [[森本町]]の一部(浅谷)を編入する。