「セオドア・カジンスキー」の版間の差分
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父親はソーセージ工場の労働者であった。少年期はセオドアの[[名前の短縮型|愛称]]であるテッド、またはテディという愛称で呼ばれ、内向的ではあるが、高い知能を持つ勉強好きな少年で小学校5年での[[知能指数|IQ]]が167もあった。子供の頃の彼は、他人の感情を理解できず、友達と遊ぶような子ではなかった。飛び級をしたが、いじめの対象になっていた<ref>http://murderpedia.org/male.K/k/kaczynski.htm</ref>。また他人に触られることを極端に嫌がったり、音に非常に敏感であったため、医学者のJ. Arturo Silvaの論文では[[アスペルガー症候群]]であったと書かれている<ref>http://www.autismwebsite.com/crimetimes/05c/w05cp13.htm</ref>。
学業は天才的な優秀さで、地元で知らぬ者はいないといわれた。15歳の時には、上級数学コースを高校で受講しており、[[ラプラス変換]]などを勉強していた<ref>http://www.jcs-group.com/enigma/fascination/kaczynski.html</ref>。[[飛び級]]により、16歳で[[ハーバード大学]]に進学した。学生時代、とりわけ学寮の寮生の間では、彼との会話を思い起こせないでいるほど印象の薄い学生だった。大学時代、[[CIA]]の前身機関でスパイ養成を行っていた心理学者・[[ヘンリー・マリー]]教授による行動心理実験の被験者とな
[[File:Young theodore kaczynski.jpeg|thumb|カリフォルニア大学バークレー校の助教だった頃のカジンスキー]]
ミシガン大学で数学の修士号とPh.Dを取得。1967年に、25歳で[[カリフォルニア大学バークレー校]]の[[助教]]に就任した。カリフォルニア大学バークレー校では学部生に、[[位相幾何学]]や[[関数空間]]を教えていた。
彼に対する専門性の評価は高く、大学の教員であり続けることのみならず、教授への昇進も期待されたほどだったという。しかし、教えたコースの学生 1969年に大学を辞職して実家に戻り、2年後には[[モンタナ州]]の郊外に自らの手で山小屋を作り、電気も水道も通っていない環境で自給自足の生活を始める(ただし家族からの経済的援助を受けたり、雇われ仕事をすることはあった)。
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