「1995年の日本シリーズ」の版間の差分

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このシリーズは「'''野村ID野球と仰木マジック'''」の対決と言われた。実際にシリーズ開幕前から両監督は、マスコミや監督会議を通して舌戦を展開し、対決ムードが大いに盛り上がった。TV番組で「'''基本的に試合前のミーティングはしません。そんなのしなくても選手がきちんとやってくれる'''」と発言した仰木監督に対し、野村監督は「'''試合前にミーティングしないなんて信じられない。オレには考えられない'''」と返した。また、一方では「'''イチローなんてたいしたことない'''」とも発言した。オリックスの[[山田久志]]投手コーチは試合後、「'''あのシリーズは野村さんにやられたんです'''」と語っている。
 
ヤクルトのデータ分析、経験の多さも一枚上手で、ヤクルトの要である捕手の[[古田敦也]]は、高めのストレートを効果的に使って打球を詰まらせるという戦略で投手をリードし、当時「高め弱点」と言われたイチローを封じることに成功した。打っては、4番オマリーが5割を超える打率をマークし、投手陣もチーム最多の16勝を挙げた[[山部太]]をリリーフのみで登板させる余裕さえもあった。一方オリックスは、打者ではイチローを筆頭に打撃陣が抑えこまれ、敵地ではシーズンをほぼ全てDHだった[[トロイ・ニール]]をスタメン起用をしなかった。投手陣もリリーフエース[[平井正史]]序盤で攻略され、中盤以降は登板が無かった。もっともオリックス投手陣は先発陣が踏ん張ったものの平井や鈴木や野村など初めて一年間1軍でペナントレースを戦ったことにより既に疲弊していたという点もある。
 
4勝1敗という結果だけ見れば、盛り上がりに欠けた印象を受けるが、このシリーズは第2、3、4戦では3試合連続で延長戦にもつれ込んでいる。前述した古田・ヤクルト投手陣とイチローの勝負の他、[[池山隆寛]]のサヨナラホームラン、勝利こそ付かなかったが40歳開幕投手の佐藤・[[野田浩司]]・2年前のシリーズMVP[[川崎憲次郎]]らの好投、[[小林宏 (野球)|小林宏]]とオマリーの14球の名勝負、何度もピンチを救った[[馬場敏史]]の好守など、両軍とも日本シリーズにふさわしいプレーが続出し、緊迫した多くの見せ場を作った。
先発は[[星野伸之]]と[[吉井理人]]。ヤクルトは初回にオマリーのタイムリーで先制。オリックスは5回表、この試合3番に入ったイチローの犠飛で追い付くが、すかさずその裏、代打[[稲葉篤紀]]の犠飛でヤクルトが再びリード。7回表、オリックスは山部を攻め、この試合1番の[[田口壮]]と4番D・Jのタイムリーで3点を挙げ逆転。しかし8回裏、ヤクルトは2死満塁のチャンスをつかむと、古田の放った当たりはショートへの高いバウンドのゴロであったが、2塁ベースカバーが一瞬遅れてセーフの判定となる内野安打で1点差。この判定に激昂した仰木監督が、退場覚悟の猛抗議で10分間中断。平井投入で逃げ切りを計るオリックスだったが、9回裏にミューレンが起死回生の同点ホームランを放ち、第2戦に続いて延長戦へ突入した。
 
延長10回裏、ヤクルトはオマリー四球・古田2塁打で2、3塁のチャンスをつかむと、オマリーに代走を送るなど勝利への執念を見せ、続く池山が劇的なサヨナラホームランで3連勝。シーズンで成績が低迷し、忸怩たる思いでこのシリーズに望んだ池山は、お立ち台で「本当に、夢のようです」のセリフを残した。ヤクルトの日本シリーズでのサヨナラ勝ちは[[1992年の日本シリーズ|1992年]]・対[[埼玉西武ライオンズ|西武]]第6戦([[秦真司]]の本塁打)以来3年ぶり3度目。また、オリックスのサヨナラ負けは阪急時代の[[1977年の日本シリーズ|1977年]]・対[[読売ジャイアンツ|巨人]]第3戦以来18年ぶり23度目である。
 
=== 第4戦 ===
::ネット裏球種解説:[[松沼雅之]] ゲスト解説:[[佐々木主浩]]([[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]) ゲスト:[[谷亮子|田村亮子(現姓・谷)]]
*第4戦:10月25日
:*'''フジテレビ'''≪フジテレビ系列≫ 実況:[[田中亮介]]{{smaller|(フジテレビ専属)}} 解説:[[関根潤三]]、[[大矢明彦]]
::ゲスト解説:[[小宮山悟]]([[千葉ロッテマリーンズ|千葉ロッテ]]) ゲスト:[[和久井映見]]、[[岸谷五朗]]
::中継が2時間30分も延びたため、21:00の『[[水曜劇場 (フジテレビ)|水曜劇場]] [[正義は勝つ]]』は23:30開始、22:00の『[[ボキャブラ天国|タモリのSuperボキャブラ天国]]』に至っては、日付が翌10月26日に変わった24:30開始となった。
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