削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
14行目:
江戸時代の大名は、[[家格]]・[[官位]]・[[石高]]・[[役職]]・[[伺候席]]によって序列が決められた。
 
まず、[[徳川将軍家]]との関係によって、一族の[[御家門|家門大名]]([[親藩]]、[[親藩大名]])、主に[[関ヶ原の戦い]]以前に徳川家の臣下だった[[譜代大名]]、関ヶ原の戦い前後からとなった[[外様大名]]に分類される。初代将軍[[徳川家康]]は、将軍家が断絶した場合の血脈の維持や、全国の大名統制への監視、および幕府への補佐への意味も込めて、将軍家同様に徳川姓を名乗ることが許された[[徳川御三家|御三家]]を設置し、9男の[[徳川義直|義直]]を[[尾張藩]]、10男の[[徳川頼宣|頼宣]]を[[紀州藩]]、11男の[[徳川頼房|頼房]]を[[水戸藩]]に封じた。さらに2代将軍[[徳川秀忠]]の兄で家康の2男である[[結城秀康]]を[[越前藩]]に封じたのをはじめ、全国に徳川一門の大名を置いた。
 
さらに歴代にわたり徳川将軍家の草創期を築いた譜代の家臣を譜代大名として置いて、幕府の軍事力を確保するとともに幕府の[[大老]]はじめ[[老中]]を中心とした重要な役職につけ、幕政を輔弼させた。譜代大名は比較的石高は低く、譜代筆頭[[井伊氏]]の[[彦根藩]]が突出した35万石の大封を得ている他は[[鳥居氏]]や[[榊原氏]]、[[本多氏]]、[[小笠原氏]]などが比較的大封を得たが、江戸時代通して10万石以上を保った譜代大名は[[酒井氏]]、[[阿部氏 (徳川譜代)|阿部氏]]、[[堀田氏]]、[[柳沢氏]]、[[戸田氏]]をはじめわずかである。