「テオドラ (ユスティニアヌスの皇后)」の版間の差分

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テオドラに一目ぼれしたユスティニアヌスは[[525年]]にテオドラと結婚した。本来、踊り子と[[元老院議員]]の結婚は法律で禁止されており、皇帝の後継者と踊り子との結婚にはユスティヌス1世の皇后[[エウフェミア]]や多くの貴族が反対したが、ユスティニアヌスは叔父ユスティヌス帝を動かして法律を改正させ、結婚したのである。
 
[[527年]]にユスティニアヌスが叔父の跡をいで皇帝に即位すると、テオドラは皇后となった。貧しい身分からたくましく生き抜いて来た女傑テオドラは、たびたび夫の助言者として国政に関与した。後世の歴史家には彼女を「女帝」と呼ぶ者さえいた。
 
特に有名なのは、[[532年]]の首都市民による「[[ニカの乱]]」の際のテオドラの対応である。[[プロコピオス]]の『[[戦史 (プロコピオス)|戦史]]』によれば、反乱にうろたえて港に船を用意して逃亡しようとするユスティニアヌスを制してテオドラは、